クロマティからの金言。「日本野球よ、
もっと個性を。もっとフルスイングを」 (2ページ目)
「ツーミリオンダラーね(笑)」
200万ドルという金額は、彼が来日した84年当時のレートで換算すると、じつに約4億6000万円。この金額は、当時FAだったクロマティの獲得を争ったメジャー球団とほぼ同額だった。
落合博満が日本人選手初の1億円プレーヤーとなったこの頃、今では考えられないことだが、メジャーリーグの球団と日本の球団の事業規模は同等だった。助っ人外国人選手の値段は高騰し、現役メジャーリーガーでさえ日本でのプレーに引き寄せられていた時代だった。
「あのときの日本の野球は本当に高いレベルだった。もちろん、メジャーリーグよりは下だったけどね。でも、それもほんの少しの差だったよ」
そう言って、クロマティは数人の選手の名前を挙げた。
「まずは広島の衣笠(祥雄)さん。あの人は他の選手と違っていたよ。最初に彼のスイングを見たとき、メジャーでプレーするポテンシャルがあることはわかったよ。あと、同じチームの(山本)浩二さんもいいバッターだった」.
当時、巨人の前にしばしば立ちはだかった広島の主力打者は、クロマティの中に強烈なインパクトを残しているようだ。
クロマティの在籍時、巨人は87年、89年、90年と3度リーグ優勝を果たしたが、日本一の栄冠を勝ち取ったのは、3連敗から奇跡の逆転を遂げた89年のみ。あとの2回は西武の前に敗れ去った。当然、この西武のメンバーたちも思い出深いとクロマティは言う。
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