山田哲人、豪打の原点は「少林寺日本一のDNA」と「超高速ハイハイ」 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 幼少期の懐かしい話も、今となっては筋肉のバランスや瞬発力のよさを感じさせるものばかりで、当時から身体能力の高さをうかがい知ることができる。

 そしてもうひとつ注目したいのが、知規さんの運動歴だ。子どもの頃から運動神経に優れ、中学時代はバレー部に所属。高校の進学先に報徳学園を選んだのだが、じつはその時、知規さんは野球部への入部を考えていたという。ところが入学した1974年の春、報徳学園野球部はセンバツ大会で全国制覇。練習を見学したのだが、「あかん、ここでやったら3年間ボール拾いで終わってしまう……」と入部を断念。代わりに少林寺拳法部に入部することとなった。

 ただ、この少林寺拳法部も全国屈指の強豪として知られていた。それでも、知規さんは持ち前のセンスのよさを発揮し、2年時には“演武(型)”で高校日本一に輝いたのだ。

 空手などと同様、武道の“型”は下半身や軸の安定があってこそ。そこから無駄のない美しい動きを生む。これこそ、山田のスタイルにピタリと重なってくる。

 6月8日現在、山田はセ・リーグトップの19本塁打を放ち、2位のバレンティン(ヤクルト)とビシエド(中日)に4本差をつけている。父のDNAを受け継ぎながら、二人三脚で築き上げたバッティングで2年連続のホームランキングを目指す。

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