2016.03.30

【根本陸夫伝】
頑なにダイエーの監督を拒む王貞治をくどき落とした男

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

根本陸夫伝~証言で綴る「球界の革命児」の真実
連載第68回

証言者・王貞治(3)

 1984年、新たに王貞治が監督に就任した巨人は3位に終わった。戦力は投打ともに充実し、その後も毎年優勝候補に挙げられていたが、ようやく勝ったのは就任4年目の87年。日本シリーズではリーグ3連覇中の西武に2勝4敗で敗れた。すると翌88年、チーム成績を2位としてAクラスを5年間キープしながらも、王は監督を辞任して退団。野球評論家になった王に根本陸夫が声をかけるのは5年後のことだが、それまでにどのような経緯があったのか。王が当時を振り返る。

94年10月にダイエーの監督になることを決断した王貞治

自らの監督就任直後、次期監督に王貞治を指名

「現役を22年やって、そのあと助監督と監督で8年やって、30年間、僕はユニフォーム着っぱなしだったんです。そういった意味では、現場から離れるっていう新鮮さはあった。少し野球から離れてね、気分転換したいっていう思いもありました。だから、ジャイアンツの監督を辞めて2年目だったか、初めて他のチームから誘われたけど、そういう時に一生懸命に言われたって、すぐにユニフォーム着る気にはなれないしね」

 巨人退団後の王は、企業の顧問や飲食店の取締役などを務めつつ、自ら設立した<世界少年野球推進財団>の専務理事に就任。評論家としてプロ野球界に目を向けつつも、戦いの現場からは遠く離れた世界に関わる時間が増えていた。だから<財団>をスタートさせて間もない時期、日本ハム、横浜(現・DeNA)から監督就任を求められても断った。その後も各球団から誘いを受けたが断り続けた。