鉄平の激白「すべてを失った2011年。それでも悔いはない」 (2ページ目)
―― 戦力外通告を受けてから、いくつかの球団が獲得調査しているという報道がありました。
「一喜一憂していましたね。ただ、ケガ持ちの30代で、しかも左打ちの外野手。正直、需要が少ないんです。もし、内野手だったら違った結果になっていた可能性はあると思うのですが......こればっかりはしょうがないですね。最初から厳しいだろうという思いはありました」
―― 外野手になったのは中日時代の2年目。外野転向を言い渡されたときのことは覚えていますか?
「いくら特守をしてもまったくうまくならなかったですからね。打撃を生かすには外野しかないと。それまでの野球人生はショートとピッチャーしかしたことがなかったので、不安でしょうがなかった。景色がまったく違いますから。これであとがないというか、もっと打撃を磨かないといけないと思いました」
―― 中日では、二軍で成績を残しながら一軍ではなかなか出場機会に恵まれませんでした。当時の中日の外野手は、福留孝介選手、アレックス・オチョア選手、英智選手、井上一樹選手、森野将彦選手など、すごいメンバーが揃っていました。
「走攻守において隙のないメンバーで、食い込む余地すらなかったですからね。ただ、二軍ではある程度結果を残していたので、チャンスはあるかなと思っていたのですが......。野球の細かさや質という部分で、一軍レベルに達していなかったと思います」
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