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【根本陸夫伝】
日本シリーズのたびに自腹で300万円分のチケットを買った男 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

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 根本がダイエーの監督に就任し、専務と球団本部長を兼務した時のこと。瀬戸山は球団副本部長という立場で根本をサポートしていた。独特のやり方を目の当たりにする機会は多々あったようだ。

 こうして、関東地区担当スカウトとして始動した大田は、学閥もほとんどなかったなか、同僚の勧めもあって、まず東洋大を見に行くことになった。西武で一緒に戦った松沼兄弟が同大学出身だったことを思い出し、弟の松沼雅之に監督の高橋昭雄を紹介してもらった。

「高橋さん、オレを気に入ってくれて、初めて会ったその日に寿司屋ですよ(笑)。しかも縁っていうのは不思議なもんで、高橋さんの弟がオレと同学年で、大宮工高の二番手のピッチャー。昭和43(1968)年夏の甲子園でオレと対戦してたんだけど、その試合を見たっていうんだから。それからもう、高橋さんには可愛がってもらってね」

 自らを「社交性がなくて処世術も下手」と評する大田は、どんな世界においても、社交的で処世術が上手い人間が出世することが嫌だった。狭い世界で生きてきた自分にはスカウトなど絶対に務まらない、と思っていた。それでも、スカウトの仕事が軌道に乗ると、ひとりの人間との関係から世界が広がることを知った。そんなある日、久しぶりに会った根本から、半ば唐突にこう言われた。

「タクな、嫌いな人ほど、電話の一本でもかけてごらん。全然、違うぞ。『元気ですか?』でも、『元気でやってます』でも、なんでもいいじゃないか。電話一本、10円で済むんだから」

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