「個」から「チームへ」。阪神・能見篤史が生まれ変わった瞬間 (3ページ目)
それがきっかけになったのかはわかりませんが、それ以降、徐々に出番を増やし、この年は自己最多の55試合に出場。クライマックス・シリーズにも出させてもらうことができました。正直、交流戦が終われば再び二軍に落ちるだろうと思っていただけに、私の野球人生においてもターニングポイントになった試合でした。
すみません、私の思い出話になってしまいましたね。話を能見に戻しましょう。能見もこの年、自身初の2ケタ勝利を挙げるなど絶好調。以後、左腕エースとして今も活躍を続け、阪神投手陣の精神的支柱となっています。
その能見とじっくり話すことができたのは、13年のWBCの時です。能見は日本代表に選ばれ、私はブルペン捕手としてチームに帯同することになりました。その時に能見が、ピッチング理論だったり、体のメカニズムだったり、メンタルだったり、いろんな話をしてくれました。
このWBCの時に強く印象に残っているのが、能見のリーダーとしての姿です。先述したように、能見はもの静かで、自分のことを黙々とこなすタイプ。だけど、こういう世界大会や短期決戦では、行動や言葉でチームを引っ張るリーダー的な人がいないといけない。能見自身も自分がやらなければいけないという思いがあったのでしょう。それまでとは違って積極的に声を掛け、投手陣をまとめようとする姿がありました。
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