「個」から「チームへ」。阪神・能見篤史が生まれ変わった瞬間 (2ページ目)
キャッチボールやブルペンでの投球を見ていると、きれいな軌道のストレートに驚きました。ただ、球種が多彩なわけでもなく、正直、苦労するだろうなと思っていました。
実際、1年目は4勝しか挙げられず、その後もなかなか結果を残せずにいました。それに私自身も05年オフに楽天にトレードになったこともあり、以降の数年は能見と接する機会はほとんどありませんでした。
能見との再会は、09年6月21日の甲子園でした。この日、楽天と阪神との交流戦が甲子園で行なわれ、能見は先発投手としてマウンドに立っていました。そしてその試合で、私は5回に代打で出場し、なんとレフトスタンドにホームランを放ったんです。しかもプロ初本塁打です。
甲子園といえば、智弁和歌山高時代に何度も試合をさせていただき、3年夏には全国制覇を達成した思い出の場所です。高校時代、甲子園でフェン直(フェンス直撃)は2~3本あったのですが、ホームランは1本もありませんでした。まさかこの甲子園でプロ初本塁打を打てるとは......本当に驚きでした。
能見から記念すべき第1号を放ったおかげで、その試合、最後までマスクをかぶり、守備でも、俊足の赤星憲広さんを盗塁で刺したり、私にとっては忘れることのできない大きな1日になりました。
試合後、私に本塁打を打たれた能見は「あれはいいボールだった」とコメントし、赤星も「(中谷)仁さんに刺されたらしょうがない」と言ってくれたようで、本当に嬉しかった。心優しき元戦友たちです。
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