かつての盟友たちが語る中日・和田一浩「2000本安打秘話」 (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 転機が訪れたのは2002年だった。和田はキャッチャーからレフトにコンバートされると、30歳にして初の規定打席に到達。そこからレギュラーの座を不動のものとし、2005年には首位打者と最多安打のタイトルを獲得。2007年に通算1000安打を放つなど、30歳を超えてからヒットを量産しはじめた。はたして、和田は遅咲きの天才だったのか? 山﨑氏は言う。

「天才ではなく、努力の男です。ベンは野球にすべてを捧げるんだよね。バッティングへのこだわりも強く、打てない時は誰よりも悩んでいた。凡退すれば、この世の終わりのような顔をしてベンチに帰ってくるんです(笑)。そこまで落ち込まなくていいだろうと思ったけどね。ベンの凄いところは、30歳を超えてからコンスタントに結果を残してきたことです。僕はタイトルを獲ったことはあったけど、コンスタントに活躍できなかった」

 東北福祉大の先輩であり、西武でもチームメイトだった解説者の大塚光二氏も続く。

「超がつくほどの真面目人間で、野球に対して一切妥協がなかった。特に捕手から外野手になってからの練習量が半端なくすごかったんです。『ベンのバッティングなら大丈夫やで』と言っても、ずっと練習しているわけですよ。なんとしてもバッティングで結果を残さないといけないと思ったのでしょうね。一心不乱にバットを振る姿は、鬼気迫るものがありました。あの独特の打撃フォームは、猛練習によって築かれたものだし、誰も真似できないと思います」

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