恩師が語る。藤浪晋太郎が「勝てる投手」に生まれ変わった日

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 今から5年前の夏、大阪桐蔭が夏の大阪大会初戦で勝利した試合後、校歌斉唱で整列している中に"頭ひとつ"抜けた選手がいた。それが当時1年生の藤浪晋太郎(現・阪神)だった。その時、西谷浩一監督に長身の1年生について聞くと、少し考えてから、こんな答えが返ってきた。

「僕の中のイメージでは阪神にいたゲイルです」

ルーキーイヤーから2年続けて2ケタ勝利をマークした藤浪晋太郎ルーキーイヤーから2年続けて2ケタ勝利をマークした藤浪晋太郎

 ゲイルとは1985年から2年間阪神に在籍し、85年には13勝をマークするなど、球団初の日本一に貢献した長身(198センチ)の外国人投手だ。そして西谷はこう続けた。

「長身であることはもちろんですが、ふたりとも真っすぐが少し汚い回転をする。そうしたところも含め、ゲイルにそっくりだと思いました」

 中学時代、藤浪は泉北ボーイズという少年野球チームに在籍していたが、当時は今の姿が想像できるような怪物ではなかった。西谷が初めて藤浪を見たのは中学2年の春。ただ、その時は他の選手を見るついでで、「背の高いピッチャーがいる」と聞いていた以上の印象は残らなかった。中学3年になると関西では誰もが知る投手になったが、西谷は藤浪の実力と可能性を見極められずにいた。

「中田(翔)の中学時代よりもいいという人もいました。でも、それは中田の中学時代をよく知らない人の話で、当時の中田はピッチャーとして別格でした。ひと目見て、『間違いなくプロに行く』と思いましたし、例えるなら中学生の中に社会人の選手がいると思うほど、実力が違っていた。でも、藤浪はそんな感じではありませんでした」

「140キロ」と言われていたスピードも、西谷の感覚では「130キロ前後ぐらいの感じ」。もちろん、中学生としては十分なスピードだが、投球フォームも右肩を下げて担ぐ投げ方で、コントロールも安定していなかった。また、西谷が観戦する時に藤浪は"いいところ"を見せることがなく、より評価を迷わせた。

 そこで西谷は、大阪桐蔭にいる泉北ボーイズ出身の選手に藤浪について尋ねた。すると、その選手は「スライダーは絶対いいです。ウチでも十分やれると思います」と即答した。さらに、「人間的にも素晴らしい」という言葉を聞き、西谷の心は決まった。

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