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阪神時代の絶頂期に藤川球児が打ち明けた苦悩 (2ページ目)

  • photo by Getty Images

 これだけの結果を残したのだから、順風満帆なプロ野球生活を送っているように見えますが、その陰で球児は大変な苦労をしていたんです。球児が絶頂の頃、私にこんな話をしてきたことがありました。

「(中谷)仁さん、しんどくなってきた。抑えて当たり前、打たれたら酷評される。これがリリーフの仕事やから仕方ないのかもしれないですけど、僕が打たれた次の日、子どもが『学校に行きたくない』と言い出したんです」

 おそらく、阪神ファンの子から「お前のオヤジのせいで負けた」というようなことを言われたのでしょう。この頃の球児は、甲子園のマウンドに上がるだけで球場の雰囲気を変えてしまう投手になっていました。しかも、投げる球のほとんどがストレート。ファンの期待は球児の想像以上に膨らんでいました。期待に応えたいという思いはあったと思いますが、このままでは厳しいということを悟っていたとも思います。

「みんなアメリカに行ってしまって、相談できる人がいなくなった。僕もアメリカに行って、一から挑戦したい。このまま日本でやっていたら、自分で築いた山を削られるだけ」と私に打ち明けてくれました。もう一度、自分のピッチングを見つめ直したい。そのためにも、環境を変えて挑戦したいという気持ちがあったのでしょう。

 ただ、2013年にようやくメジャー移籍を果たしましたが、ヒジを手術したり、まだ満足のいく結果を残せていません。憶測ですが、年齢も年齢だし、球の速いピッチャーだけならアメリカにたくさんいる。やはりメジャーで成功するためには、変化球が必要だと思ったのでしょう。確かに、道は険しいですが、これまでの経験を生かして、メジャーでもう一度輝いてほしいです。このまま終わるヤツではないですよ。

 球児とは、私が楽天に移籍するまで一緒にプレイしましたが、彼から教えられたことはいっぱいあります。なかでも、ある日ブルペンで話していたことが今でも強く印象に残っています。普通、ピッチャーというのはいいフォームで投げれば、いいボールがいくと思うものですが、球児はまったく逆の考えをしていました。「いいボールがいけば、それがいいフォームなんだ」とあくまで結果重視なんです。「どんな投げ方でも、キャッチャーの構えたところに投げるのが僕の仕事」と。「そう考えているピッチャーは少ないのでは......」と問うと、球児はこう言い返してきました。

「仁さん、考えてみてよ。バッターが空振りして、『いいスイングだったからOK』とはならないでしょう? ピッチャーだって同じだと思う」

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