元捕手・中谷仁が語る。藤川球児「直球勝負の原点」
エースの響き~ブルペン捕手・中谷仁が見た「超一流の流儀」
藤川球児(1)
中谷仁です。私は1997年のドラフトで阪神から1位で指名を受け入団し、その後、楽天、巨人でもプレイしました。2012年まで現役を続け、昨年は巨人のブルペン捕手として チームのリーグ優勝を見届けました。この16年の間、実に多くの投手の球を受けてきました。そこで、実際に受けた経験をもとに、超一流と呼ばれるエースたちの素顔に迫りたいと思います。今回は、阪神時代のチームメイトで、先日、トミー・ジョン手術から1年ぶりの復帰を果たしたシカゴ・カブスの藤川球児です。彼が日本一のクローザーと呼ばれるようになるまでの話をしたいと思います。
阪神時代、藤川球児は562試合に登板し、42勝25敗220セーブの成績を挙げた
球児と出会ったのは1997年、私が高校3年の時でした。私が通っていた智弁和歌山高校は毎年、四国遠征があり、その年は高知商との試合が組まれていました。最初はどんなチームかよくわからなかったのですが、試合後の感想は「凄いピッチャーがおる......」というものでした。そして、その凄いピッチャーこそが、1学年下の藤川球児だったんです。
この年の夏、私は甲子園で優勝することができたのですが、高知商も出場していました。球児の兄・順一がマスクをかぶり"兄弟バッテリー"として注目を集めていたのを覚えています。そして、私が球児と親しくなったのは、夏の甲子園が終わったあと、高校選抜でブラジル遠征に行った時でした。ともに日本代表に選ばれ、一緒のホームステイ先に寝泊りしたんです。よく球児とは夢などを語り合っていましたね(笑)。
球児のボールを実際に受けたのは、このブラジル遠征の時でした。「パシーン」と響く、ミットの音が衝撃的でした。「これはいけるな」と。この時、日本代表には平安(現・龍谷大平安)の川口知哉(元オリックス)や、敦賀気比の三上真司(元ヤクルト)という注目の投手がいましたが、一番いい球を投げていたのは間違いなく球児でした。
当時、彼の持ち球はストレートとカーブだけだったのですが、そのカーブが本当に凄い。強烈なスピンがかかっていて、一度フワッと上がったあと、加速しながら落ちてくる。この球を打つのは簡単じゃないなと思いましたね。案の定、ブラジルの選手を抑えるのは簡単でした。当時のブラジル代表には、のちにヤクルトでプレイするツギオ佐藤、松本ユウイチ、リーゴといった選手がいたのですが、彼らにバッティングをさせなかったですからね。
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