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谷繁元信「屈辱の時代のおかげで僕は16年連続Aクラスになれた」 (3ページ目)

  • キビタキビオ●構成 text by Kibita Kibio
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

谷繁 僕が覚えているのは、横浜スタジアムの試合で、簡単に先頭バッターをフォアボールで出したことがあったんですよ。それでムカーっとなって、いつもより強く投げ返したら、まだ野村さんは下を向いていて、顔を上げた瞬間、顔面にバチーン(笑)。

野村 ああ、巨人戦で雨が降っていた時だね。先頭の簑田(浩二)さんにフォアボール出して、「アカ~ン」って思ってスコアボードかなんかを見て下向いたあと、上向いたらそのままゴーンって来た(笑)。でも、目を腫らしながら投げて、5回ぐらいまで0点に抑えていたんだよね。

谷繁 うん、そうそう。

野村 でも、結局、あの試合は負けたんだよな。雨で一度試合が中断して、再開したあとに点を取られて……。あのとき、僕がチェンジになって戻るときにクロマティー(巨人)に「レイン、アフター、ダメね」って声かけられたのを覚えてるよ(笑)。

谷繁 野村さんも結構覚えていますね。

野村 あと1994年、東京ドームの巨人戦での3連発。

谷繁 元木(大介)、デーブ(大久保博元)さんと、あと誰でした?

野村 岡崎(郁)さん。

谷繁 はいはい。元木はポール際じゃないですか?

野村 そうそう。近藤(昭仁)さんが監督の時だったんだけど、「お前、3連発はないぞ」って2カ月ぐらい言われ続けた(笑)。他にも、広島戦で西山(秀二)さんに広島市民球場で3ランを打たれて逆転されたのを覚えている? 2-0で勝っていて、2アウト二、三塁で8番の西山さんという場面だったんだけど、ツーナッシングからインコースの真っすぐを打たれた。

谷繁 それは覚えてないですね。

野村 あの時も近藤さんに、「野村、ツーナッシングからインコースはないだろ」って2カ月ぐらい言われた(笑)。しかもその後、しばらく中継ぎに回されてしまって。

谷繁 そんなリードばかりしていたから、僕も近藤さんが監督の時に、試合に出してもらえない時期がありました。佐々木(主浩)さんがリリーフで投げる時は、秋元(宏作)さんに代えられていましたし……。

野村 ふたりでバッテリーを組んで投げていても、佐々木さんに代わるとバッテリーごと代えられたよね。

谷繁 それは僕がヘタだったからですよ。

野村 佐々木さんのフォークボールをちゃんと捕球するためにシゲが必死に練習して後に信頼を得たという話は、1998年に優勝したときに色々なところで紹介されて、すっかり有名になったよね。

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