小池正晃「横浜愛と神様が打たせてくれたホームラン」 (3ページ目)
死に場所は自分で決める。小池が野球人生をまっとうする場所は、横浜以外になかった。最初に引退を伝えたのは家族だった。
「嫁さんは、僕が他のチームに行って野球を続けると思っていたようで驚いていましたけど、最終的な判断は僕に任せると言ってくれました」
しかし、小学校3年生の長男は納得しなかったという。
「辞めると言ったら、最初は『ふーん』って言っていたんですけど、あとから嫁さんに聞いたら、僕の知らないところで号泣していたようなんです。息子も野球をやっていて大好きだからショックだったんでしょうね。その後は、『もっと続けてよ。他のチームに行けばいいじゃん』って言ってきましたけど。その時、続けるべきなのかなと考えましたが、引き際を見せるのも教育というか……。僕の中ではボロボロになって、誰にも知られることなく球界を去る姿を子どもに見せたくなかった。だから、この判断は間違っていなかったと思っています」
その後、チーム内で一番仲のいい後藤と多村を食事に誘い、引退する旨を伝えた。
「ふたりにはこれまでのことを話しました。そしてふたりに『もし他球団に行ったら、僕はまだやれると思いますか?』と訊いたんです。ふたりは真剣に考え、そしてしばらくして、『正直、厳しいと思う』と言ってくれました。ふたりとも無責任なことは絶対に言わないし、はっきりと答えてくれたおかげで、気持ちが固まりました」
話を終えると、3人の間に沈黙が訪れた。目の前には食事が並べられていたが誰も手をつけようとせず、時間だけが流れていった。盟友との別れ。3人のいる個室からは、沈黙の中、かすかにすすり泣く声が聞こえていた。
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