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小池正晃「横浜愛と神様が打たせてくれたホームラン」 (2ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi
  • photo by(C)YOKOHAMA DeNA BAYSTARS

 2008年にトレードで中日に移籍し、リーグ優勝に貢献する活躍を見せるも、2012年にFAで横浜DeNAに復帰した。

「ベイスターズに戻ったのは、やっぱり横浜で野球をやりたかったから。この先、僕は10年も現役でやれるような選手じゃない。だから最後は横浜に戻って、骨を埋めて、辞めたいという気持ちがありました」

 だが、復帰したものの小池は納得のいく結果を残せずにいた。特に今年は、開幕からファームでの生活が続いていた。

「チームとしては若い選手を使いたいといった方針もあったようなので、このままでは戦力として考えてもらえないかもしれないという危機感はありました」

 チームの方針はフロント陣の判断によるものだが、じつは小池自身もある大きな不安を抱えていた。

「ファームの試合でも、相手ピッチャーのストレートに思うような反応ができなくなってきたんです。バッティングは波があるのでいずれ調子は戻るはずだといつも以上に練習をしていたんですが、それでも違和感が抜けない。ストレートだけには打ち負けない自信があったのに、一発で仕留められない状態が続きました」

 その不安が決定的になったのが、8月下旬に一軍登録された時だ。

「悔しい思いをぶつけて結果を出し、『来年につなげる』という強い気持ちはあったのですが、一軍のピッチャーのストレートについていけなかった......。これが引退を決断した最大の理由ですね」

 しかし、まだ32歳という若さ。今季で横浜DeNAとの契約は切れるが、他のチームに移ってもうひと花咲かせるということもできたのではないだろうか。

「確かに、新たな環境で野球をすればバッティングが蘇(よみがえ)るんじゃないかって思ったこともありました。でも、それ以上に想像できなかったのが、僕が他の球団のユニフォームを着ている姿でした......」

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