【MLB日本人選手列伝】長谷川滋利 持ち前の適応力で活路を見出し存在感を発揮したリリーバー
メジャー2年目からリリーバーとして存在感を発揮した長谷川滋利 photo by Getty Images
MLBのサムライたち〜大谷翔平につながる道
連載30(最終回):長谷川滋利
届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。
MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。第30回はリリーバーとして存在感を発揮した長谷川滋利を紹介する。
【苦しんだルーキーシーズンから得た学び】
長谷川滋利は、村上雅則、野茂英雄、マック鈴木に続く4人目の日本人メジャーリーガーである。とはいえ、現役時代の映像にあらためて目を通しても、特に突出した武器があるように感じるファンは少ないのではないか。
長谷川は100マイル(161キロ)近い豪速球を駆使したわけではなかった。日本人投手の代名詞的な武器となったスプリットやフォークボールに依存した投手でもなかった。それでも円熟の右腕はアナハイム(現ロサンゼルス)・エンゼルス、シアトル・マリナーズで、主にリリーバーとして9シーズンにわたって活躍し、日本人最多記録となる通算517試合に登板と息の長い働きを続けてみせた。マリナーズで12ホールド、16セーブ、防御率1.48という好成績を残した2003年にオールスター出場といった実績をみれば、通称"シギー"は十分に成功者と認められてしかるべきである。
1年目の初登板はほろ苦くも、思い出深いものだった。1997年4月5日、クリーブランド・インディアンス(現ガーディアンズ)戦にエンゼルスの先発投手として登板。ジム・トーミ、ケビン・ミッチェル、マット・ウィリアムズ、フリオ・フランコ、デービッド・ジャスティス、マーキス・グリッサムといった往年のビッグネームが並んだ打線を相手に序盤は奮闘したものの、その年のワールドシリーズに進出することになるチームに5回4失点でKOされた。
「本当のことを言えば会見ももちろんしたくないですし、そのへんのものを蹴散らしたい気分ですけど、この気持ちを次に生かせればいいと思います」
当時の映像を見返すと悔しさを隠さずにそう述べていたが、その後も長谷川は先発の役割では苦戦を続ける。140キロ台の真っすぐとスライダーを丁寧に投げるスタイルは、メジャーでは長いイニング向きではなかったのだろう。
しかしそれ以降、日本でも通算57勝を挙げたクレバーな右腕がリリーバーとして貢献の術を見つけたのは見事だった。まだメジャーリーグに日本人選手は少なく、ノウハウも確立されていなかった時代。当時のドキュメンタリーを見ると、長谷川も捕手との呼吸に苦心していたことが、こんなコメントからもうかがえる。
「(アメリカでは)日本の時とは違った組み立てがあるんじゃないかと思ったんです。だからなるべく最初はキャッチャーに任せて、嫌な時は首を振ってといった感じで考えていました。ただ、こっちはピッチャーが主導なんです。僕が首を振ればもちろんサインを変えますし、自分の好きなようにして打たれるのは構わないというのがわかってきました。だから今後は自分で考えるつもりなので、インコースへの投球ももっと増えていくでしょう」
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著者プロフィール
杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)
すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう

