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山本由伸のポストシーズン2試合連続完投勝利はMLBのデータ主導野球の潮流に影響を与えるのか (3ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【芸術的な投球でドジャースの歴史に名を刻む】

 ワールドシリーズ第2戦の山本の投球は、まさに芸術的だった。初対戦となったブルージェイズ打線は、ボール球をほとんど振らず、確実にコンタクトしてくる厄介な打線。それでも山本は初回、無死一・三塁のピンチを背負いながら、ここでカーブに活路を見出した。

 主砲ウラジーミル・ゲレロJr.にはスプリットを続けて投げ込み、最後はカーブで空振り三振。第1戦で本塁打を含む3打数3安打と当たっていた4番アレハンドロ・カークを一直に打ち取ると、続くドールトン・バーショをフルカウントからのカーブで見逃し三振に仕留めた。2回以降、ブルージェイズ打線が狙っていたフォーシームの使用を抑え、山本はスプリット、カーブに加えてカッター、スライダー、シンカーを巧みに織り交ぜていった。相手打線に"読み"を与えず、投球の幅で試合を支配した。

 山本はチームのブルペン事情も計算に入れていたのだろう。信頼できるのは、先発から中継ぎに転向した佐々木朗希ただひとりという状況。だからこそ、中盤以降はカッターを多用して打たせて取り、球数を減らす配球に切り替えた。4回から7回までは奪三振がわずかひとつだったが、すべての打者を5球以内で片づけ、試合のリズムを生み出していった。

 試合後、山本は淡々と語っている。

「僕のピッチングスタイルは、どんどんストライクゾーンに投げていくことです。もちろん狙うコースはありますけど、基本はすべてのボールをストライクゾーンに向けて思いきり投げるというスタイル。今日はそれを貫いて、自分のピッチングに集中しました」

 試合の均衡を破ったのは7回だった。ウィル・スミスの左越えソロでドジャースが勝ち越すと、続くマックス・マンシーも左翼席へソロ本塁打を放ち、試合の流れを引き寄せた。8回には打線がさらに2点を追加。その直後、山本はまるで感謝を込めるかのように、8回を圧巻の三者三振で締めくくった。カーブでアンドレス・ヒメネスを空振り三振、高めの速球でジョージ・スプリンガーを空振り三振、そして最後はネイサン・ルークスを速球で見逃し三振。ロジャーズセンターは静まり返り、ただその支配的な投球を見つめるしかなかった。

 チームメートもその投球に舌を巻いた。「4、5種類の球を自在に操り、まるで"ノミを狙っても当てられる"ほどの精度。どこにでも投げ分けるし、打者のスイングを完全に理解している。本当に信じられない投手だよ」と、フレディ・フリーマンは驚嘆した。

 マーク・プライアー投手コーチも称賛を惜しまない。

「速球でも、カッターでも、カーブでも――何でも思い通りに投げられる。打者が4巡目に入っても、まったく同じ表情で、まったく違う投球を見せるんだ」

 被安打4、失点1、与四球ゼロ、奪三振8。最後の20人の打者を連続で打ち取るという、まさに"完全支配"と呼ぶにふさわしい投球内容だった。

 試合後の会見では、こんな質問も飛んだ。

「ドジャースの歴代の名投手、サンディ・コーファックスさんやオーレル・ハーシュハイザーさんも、ワールドシリーズで完投しています。ご自身がその系譜に並んだという実感はありますか?」

 山本は少し照れくさそうに笑いながら答えた。

「そうですね、あの......はい、もうとにかくうれしく思います。あの、わからないですけど......はい」

 ドジャースファンは、長い球団史のなかでコーファックスやハーシュハイザーの伝説的なピッチングを貴重な財産として語り継いできた。そして、その系譜に新たな名前、山本由伸が加わった。その物語は、これからも語り継がれていく。

著者プロフィール

  • 奥田秀樹

    奥田秀樹 (おくだ・ひでき)

    1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

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