【MLB】大谷翔平の驚愕のホームラン量産メカニズムとは? 名コーチ・伊勢孝夫が解説 (3ページ目)
── パワーに隠れがちですが、大谷選手は精緻なスイングを持つ"ホームランマシン"だったということですね。
伊勢 そのとおりです。よくアマチュアの指導者に見受けられるのですが、「ボールの下っ面を叩いてフライを打て」と言ったり、それとは反対に「上からバットを出せとか」と言ったりしますが、それはそれでゴロにしかなりません。その点、大谷は決してバットを振り下ろしてもいません。それで高めの球をきっちり仕留めています。
あと、先ほども少し触れましたが、インサイドを克服したことが大きいと思います。それまではインコースを苦にしているところがあり、特に左投手のアウトローへ逃げるスライダー系のボールを見せられ、そのあとインサイドを攻められて凡打というのが多くありました。それをいかにして克服するかがエンゼルス時代からのテーマだったと思うのですが、昨年のバッティングを見る限り克服したといってもいいでしょう。
── 克服した要因はどこにあるのでしょう。
伊勢 タイミングの取り方です。エンゼルス時代と比べて、すり足というか、ほぼノーステップに近い打ち方に変えましたよね。私は、仲がいいというフレディ・フリーマンから助言をもらったか、あるいは参考にして変えたのかと思っているのですが、ステップ幅を狭めたことでバットの出がよりシャープになりました。
あのびっくりするような上半身の筋肉は、単にスイングスピードをあげるというより、ステップ幅を狭めても力負けしないためにつけた筋肉じゃないかと思っています。言うなれば、バッターとして一番変化したのは、筋肉とタイミングの取り方。それがメジャーで54本塁打という結果に結びついたのではないでしょうか。
伊勢孝夫(いせ・たかお)/1944年12月18日、兵庫県出身。63年に近鉄に投手として入団し、66年に野手に転向した。現役時代は勝負強い打撃で「伊勢大明神」と呼ばれ、近鉄、ヤクルトで活躍。現役引退後はヤクルトで野村克也監督の下、打撃コーチを務め、92、93、95年と3度の優勝に貢献。その後、近鉄や巨人でもリーグを制覇し優勝請負人の異名をとるなど、半世紀にわたりプロ野球に人生を捧げた伝説の名コーチ。現在はプロ野球解説者として活躍する傍ら、大阪観光大学の特別アドバイザーを務めるなど、指導者としても活躍している
著者プロフィール
木村公一 (きむらこういち)
獨協大学卒業後、フリーのスポーツライターに。以後、新聞、雑誌に野球企画を中心に寄稿する一方、漫画原作などもてがける。韓国、台湾などのプロ野球もフォローし、WBCなどの国際大会ではスポーツ専門チャンネルでコメンテーターも務める。
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