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【MLB】野茂英雄から大谷翔平までの道のり 日本人3人がドジャース先発陣を占める意味 (2ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【2003年の投手陣を支えたのは日本での指導経験のあるコーチ】

 筆者は2003年のドジャースも取材していたが、ふたりの日本人先発投手が成功できた要因は、実力もさることながら、ジム・コルボーン投手コーチの存在が大きかったと考えている。現役時代は1973年にミルウォーキー・ブルワーズで20勝投手になり、1977年はカンザスシティ・ロイヤルズでノーヒットノーランを達成した。指導者に転じてからは、シカゴ・カブス傘下のマイナーで教えていたが、1990年~1993年に来日し、オリックス・ブルーウェーブ(現・バファローズ)でコーチを務めた。1997年~2000年はシアトル・マリナースの環太平洋スカウトを務め、佐々木主浩、イチロー獲得に大きな役割を果たしている。当時の米国で数少ない日本の野球文化を深く理解していた人物で、筆者自身も彼にとてもお世話になった。

 2003年に、コルボーンはこう話していた。

「アメリカの文化は我慢や忍耐を教えない。しかし日本で指導した経験から、そうした大切なことを学ぶことができた。それは野茂や石井をコーチするだけでなく、ドジャースの投手陣全体を見る上でも役立っている。投手というのは個性が強く、独立心の強い人種。しかもMLBにはいろんな国から多様な性格や能力を持った選手が集まってくる。オリックス時代に、私は広い視野を持ち、寛容さを養うことができた」

 彼はピンチで粘り強い野茂の投球を常に賞賛していた。

「1990年、近鉄でプロデビューしたばかりの野茂を初めて見た。ある試合で無死満塁のピンチを迎え、ルーキーだし自滅するだろうと思っていた。しかし確かに点は取られたが、最後は三振を奪って切り抜け、堂々とマウンドを降りていった。精神的にタフな投手だと強く印象に残った。彼は竹のような存在で、曲がることがあっても決して折れない。今季は打線の援護がなく、気の毒なシーズンだった。援護があれば25勝して今ごろ、サイヤング賞の有力候補になっていたはずだ」

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