大谷翔平、ベッツ、フリーマンのドジャース上位打線の実力を解析 伝説の「殺人打線」級?

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

昨季は1番・ベッツ(右)、2番・フリーマンで脅威を与えた photo by Getty Images昨季は1番・ベッツ(右)、2番・フリーマンで脅威を与えた photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る

ロサンゼルス・ドジャースのムーキー・ベッツ、大谷翔平、フレディ・フリーマンで形成される「ビッグスリー」上位打線は破壊力抜群だ。3人が初めて1番から3番に名を連ねた2月27日(日本時間28日)のオープン戦ではベッツが1安打、大谷がドジャースでの初本塁打を放つなど、早速その片りんを見せている。1920年代のニューヨーク・ヤンキースが席巻した「殺人打線」をも上回る期待も寄せられるのはなぜか? 彼らが1番から3番まで並ぶことで引き起こす打線としてのケミストリー(化学反応)を個々の特徴から紐解いてみる。

【ルースが7度の世界一に輝いた理由】

 二刀流で華々しい成績を残し、メジャーリーグの本塁打王のタイトルも獲得した大谷翔平だが、「野球の神様」ベーブ・ルースの足元にも及ばないのが優勝回数だ。

 ルースは10度ワールドシリーズに出て7度の世界一。それはルース自身が投手としても打者としても傑出した存在であると同時に、チームメートにも恵まれていたからだ。優秀なジェネラルマネジャー(GM)エド・バローがいたおかげでもある。

 1918年、バローはルースのいたボストン・レッドソックスの監督に就任。当時、第一次世界大戦で多くの選手を兵役に取られていたため、ハリー・フレイジーオーナーを説得し、フィラデルフィア・アスレチックスから4人、シンシナティ・レッズからひとり、先発クラスの選手を金銭トレードで獲得した。その年、ルースは初めて二刀流で起用され大活躍したが、このシーズン、世界一になれたのはブレット・ジョー・ブッシュ投手らを補強できたからだ。この後、フレイジーオーナーは多額の負債を抱えるようになり、逆にルースをはじめ、主力をニューヨーク・ヤンキースなどに金銭トレードで放出する。

 バローは1920年シーズン後に監督を辞任し、21年からヤンキースのビジネスマネジャーに転職した。そして当時は監督が行なっていた選手集めを専門の仕事とし、古巣のレッドソックスから次々に選手を引き抜いた。元監督だからどの選手が有能かは誰よりも分かっている。加えてレッドソックスのポール・クリチェルコーチをスカウトに抜擢。クリチェルは1923年にコロンビア大の学生だったルー・ゲーリッグとの契約に成功した。

 GM職の草分けとなったバローにより、弱小チームだったヤンキースは一転、メジャーリーグきっての強豪に変貌。1921年から1928年、ア・リーグで6回優勝、3度世界一に輝き、特に1927年は「殺人打線(Murderer's Row)」と恐れられた。3番・右翼手のルースが打率.356、60本塁打、165打点。4番・一塁手のゲーリッグが.373、47本塁打、175打点。他にも1番打者が打率.356、23三塁打と打ちまくり、5番と6番打者も100打点以上を叩き出した。シーズン成績は110勝44敗でワールドシリーズもスイープ(4連勝)。ルースとバローは16年間同じチームで働いたが、仲は良いとは言えず、むしろ確執があった。しかしながら先見の明があったバローとの巡り合いで、ルースはワールドシリーズに出続けることができたのである。

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