イチローがマリナーズの球団殿堂入り。安打量産の契機はMLBで出逢った「最高のノッカー」 (2ページ目)
じつはイチローが出演した2003年のマリナーズの球団コマーシャルのなかで、イチローはキーラーの遺したある言葉を口にしている。
アスレチックスを相手にイチローが打席に立つや、1、2塁間にも2、3塁間にも守りの選手が並び、さらに外野のブルペンからも10人以上の選手とアスレチックスのマスコット、象のストンパーまでもが現れて、フィールドを埋め尽くす。それでもイチローは「ノープロブレム」と不敵に呟き、ライト線へスリーベースヒットを放った。そして3塁ベース上で「hit 'em where they ain't(人のいないところに打てばいいんだよ)」と言い放つ......これがキーラーの有名な言葉だったのだ。
イチローが生まれる101年前の1872年、ニューヨークのブルックリンで生まれたキーラーは、1894年から1901年まで、8年連続でシーズン200本以上のヒットを放った。ただし、この時代はスリーバントのファウルは三振とカウントされず、キーラーは厳しいボールをバントで逃げながらファウルにしてチャンスを待ち、ヒットを量産していたのだという。当時のイチローはこうも言っていた。
「それでも、それが記録として残っているわけですから、超えなくてはいけません。しかも、そのスリーバントのルールがそんなふうに違うんですから、僕がその記録を超えていきたいと思うのは当然じゃないですか。それが反対だったら、オレ、つらいなって思いますけど、反対ですからね」
昔はスリーバントの失敗はアウトになるのに今はならない、ということならば、超えて当然ということになってしまう。そうではなくて、昔はバッターに甘いルールだったからこそ、厳しくなった今の時代、超えていくことに意味がある──そう考えるマインドこそが、イチローイズムである。
イチローの「足し算的発想」
10年続いた、イチローにとっての"200安打"。
思えばイチローはメジャー2年目から、この数字を口にし始めた。ほかの数字は追おうとしないイチローが、200本という安打数だけはそれを目標のひとつとしてハッキリと口にしてきた。
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