MLBで川﨑宗則、西岡剛らとプレー。イスラエル代表・バレンシアが語る自国と日本の野球 (3ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Getty Images

「カバーに入る際、アメリカでは少しでもランナーとの接触を避けるためベースを跨ぐのではなく、後ろ側に立つように言われます。そうすることでランナーがスライディングしてきてもベースが守ってくれます。

 かつてレッドソックスでプレーしたダスティン・ペドロイアは、身を守りながらも併殺を取る技術に長けていました。同地区のライバルであるヤンキースと何度も試合をしましたが、ランナーと接触したことはなかったはずです。それにあと必要なのは、ジャンプしながら送球する技術です。ニシは全体的に高い技術を持った選手でしたが、ああいうケガをしたということは、日本ではそうした技術は必要なかったのかもしれません」

 たしかに併殺プレーの際、二塁ベース上でランナーと交錯して負傷したのは西岡だけではない。松井稼頭央はメッツ時代の2005年に左ヒザを打撲し、岩村明憲もレイズ時代の2009年に左ヒザの前十字じん帯断裂して約3カ月の欠場を強いられた。

 2015年のシーズンオフにルールが改正され、野手への激しいスライディングタックルが禁止され、ランナーはベースに滑り込まなくてはならなくなった。それでもまだ激しいスライディングをしてくる選手がいるため、内野手はフットワークが必要になるとバレンシアは言う。

 バレンシアにとって西岡も印象深い日本人選手だが、「最高のチームメイトでした」と語るのが川﨑である。2014年のシーズン途中でバレンシアがブルージェイズに移籍した際、川﨑とともにプレーすることになった。

「ベンチやクラブハウス、チャーター機など、いつもいい雰囲気をつくってくれました。みんなを笑わせる能力があり、チームに一体感をもたらしてくれました。本当にムードメーカーで、みんな彼から力をもらっていました」

 バレンシアが続ける。

「もうひとつ印象に残っているのは、彼が通訳をつけなかったこと。チームメイトと直接コミュニケーションを取る努力をし、インタビューもすべて英語で受けていました。その姿を見て、我々もファンもみんな彼を愛していました。それだけじゃなく、常にいいプレーをするための準備をしていたことも印象に残っています。ストレッチや打撃練習など、仕事に対して真面目でした」

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