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お疲れ様でした。僕たちは永遠にD・ジーターを忘れない。 (3ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu photo by AFLO

 また、ジーターがプロ20年間で一度もシーズンMVPを受賞していないことも、自己犠牲の精神の表れではないかと思います。2000年には史上初となるオールスター&ワールドシリーズのダブルMVPに輝きましたが、打撃部門での個人タイトルとは無縁です。チームの勝利に最も貢献した選手に贈られるとは言うものの、やはりレギュラーシーズンのMVP選出は個人成績に左右されます。好成績を収めながらシーズンMVPに一歩届かなかったところも、ジーターが自分の美学を貫いてきた証(あかし)と言えるのではないでしょうか。

 その結果、ジーターはメジャー20年間でポストシーズンに16回出場し、5度のワールドチャンピオンに輝きました。いつも全力でプレイし、チームのためにすべてを捧げる姿勢が、全米中のファンから「球界のキャプテン」と呼ばれる理由なのです。

 そしてユニフォームを脱いだあと、いずれジーターはヤンキースのホーム開幕戦で始球式を務める役割になるでしょう。かつてジョー・ディマジオの生前は、彼が毎年ホーム開幕戦の始球式を行なっていました。それが、ヤンキースの伝統的な行事だったのです。1999年にディマジオが亡くなったあとは、第3次黄金時代に正捕手を長年務めたヨギ・ベラ(1946年~1965年)や、ヤンキースで通算236勝を挙げたホワイティー・フォード(1950年~1967年)といった永久欠番のOBが、その役目を受け継ぎました。

 ただ、ディマジオほどの人気には及びません。そういう意味で、ホーム開幕戦の始球式を務める役割は、将来ジーターが担うでしょう。幾多の大スターを次々と輩出してきた名門ヤンキースにおいて、ジーターという選手は、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ(1923年~1939年)、ジョー・ディマジオ、ミッキー・マントル(1951年~1968年)とともに「五指」に入る存在です。

 今年で40歳となりましたが、まだ現役を続けることはできると思います。ただ、1番や2番を務め、ショートを守り続けるレベルで引退するのが、ジーターの美学なのでしょう。ヤンキースがプレイオフに出られなくても、2014年は「ジーターのシーズンだった」と言い切れます。20年間、数え切れないほどの素晴らしいプレイを見せてもらいました。デレク・ジーターというプレイヤーを、生涯忘れることはないでしょう。

著者プロフィール

  • 福島良一

    福島良一 (ふくしま・よしかず)

    1956年生まれ。千葉県出身。高校2年で渡米して以来、毎年現地でメジャーリーグを観戦し、中央大学卒業後、フリーのスポーツライターに。これまで日刊スポーツ、共同通信社などへの執筆や、NHKのメジャーリーグ中継の解説などで活躍。主な著書に『大リーグ物語』(講談社)、『大リーグ雑学ノート』(ダイヤモンド社)など。■ツイッター(twitter.com/YoshFukushima

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