現在33歳。松坂大輔がメジャーリーガーとしての復活する可能性は? (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu photo by AFLO

 毎年、メジャーリーグでは40人以上がトミー・ジョン手術を受けていると言われています。そのうち、現在ナ・リーグ1位の16勝をマークしているアダム・ウェインライト(セントルイス・カージナルス/29歳時に手術)や、手術後に8年連続ふたケタ勝利を挙げたA.J.バーネット(ピッツバーグ・パイレーツ/26歳時に手術)、今季レッドソックスで勝利の方程式の一角を担っている田澤純一投手(23歳時に手術)のように成功した例もあれば、逆にそのまま消えていった例もあります。ただ、大ブレイクとまでは言えなくても、不屈の闘志と、逆境を跳ね返す精神力でカムバックし、メジャーの世界で再び花を咲かせた投手は何人もいます。松坂投手と同じように、30歳でトミー・ジョン手術を行ない、見事に返り咲いたメジャーリーガーを紹介しましょう。

 まずひとり目は、ドミニカ共和国出身のホセ・リーホという右投手です。リーホは1984年、ニューヨーク・ヤンキースでメジャーデビュー。その年は、ライバルのニューヨーク・メッツから当時19歳のドワイト・グッデンがデビューしており、それに対抗すべく、当時18歳のリーホが大抜擢されたのです。ただ、若かったために経験の浅さが露呈し、翌年にはオーランド・アスレチックスに放出されてしまいます。しかし、そこでリーホの素質は開花しました。球団記録となる1試合16奪三振をマークし、一躍、速球投手としての地位を確立。さらにシンシナティ・レッズ移籍後も、シーズンふたケタ勝利を5度記録するなど、エースとしてフル回転の活躍を見せたのです。

 全盛期のリーホは97マイル(約156キロ)のストレートと、キレのあるスライダー、そして落差のあるチェンジアップを武器に三振の山を築きました。1990年のワールドシリーズでは2勝0敗・防御率0.59を記録し、シリーズMVPを獲得。また、1993年にはリーグトップの227奪三振をマークするなど、まさに球界を代表する本格派投手して名を馳せました。

 しかし、長年のひじの酷使がたたって、1995年、リーホは30歳のときにメジャーの世界から姿を消すことになります。その後、5度もトミー・ジョン手術を行ない、なんとかメジャー復帰の道を模索しました。その結果、なんと6年後、メジャーの舞台に帰ってくることができたのです。2001年、リーホはリリーフとして13試合に登板し、翌年は9先発を含む31試合に投げて5勝(4敗)をマーク。速球派として鳴らした全盛期の面影はありませんでしたが、かつて武器としたスライダーとチェンジアップ、さらにタイミングの取りづらいバルーンカーブを駆使し、メジャーで再び活躍の場を手にしたのです。手術後の苦労を乗り越えたリーホは、37歳まで現役でプレイしました。

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