甲子園初出場で全国制覇も髙橋光成は苦しんでいた... ドラ1直前のブルペンで受けた「忘れられない40球」 (4ページ目)
巨体が大きく動き、腕が上から振り下ろされる。「ドカン!」と来た。硬球のボリュームじゃない。ソフトボール大の硬球を投げてきたのかと思った。体重移動で生み出したパワーを、余すことなくボールに乗せるのがうまい。そういう「技術」を、この時点ですでに持っていた。
ストレートを受けるたびに、「ドカン!」と来る。何球も受け続けているうちに、左肩がだるくなってきた。破壊力のあるボールというのは、ミットをはめた手だけではなく、その衝撃が腕から肩へと伝わってくる。
「まだ見えますか?」
変化球はさすがに見えないと思ったので、ストレートだけをおよそ40球受けた。そして最後の1球。
「ラスト! 俺が一生忘れないようなストレート、投げてこい!」
「わっかりました!」
小気味いい返事が返ってきた。その数秒後。ミットにめり込むような衝撃が走り、やっとのことでボールの勢いを止めた。
「痛ってえ! こりゃあ、オレの手のひらが一生覚えてるわ!」
もう真っ黒なシルエットになった巨体。その上のほうで、白い歯だけがはっきりとこちらに見えていた。
それから数日後。髙橋はドラフト1位で西武から指名を受け、プロ野球の世界へと進んでいった。2年生の夏、初めて立った甲子園で全国の頂点に駆け上がった。その直後に訪れた虚無感。それでも黙々と練習を続け、次の舞台を目指した。そして、あの秋のブルペンで受けた、忘れようにも忘れられない「ドカン!」という衝撃──。
あの夏から、長い年月が流れた。プロの世界でさまざまな経験を重ねてきた?橋は、あの夏の衝撃を超えるような瞬間に出会うことができたのだろうか。いつか、本人に聞いてみたいものである。
髙橋光成(たかはし・こうな)/1997年2月3日生まれ、群馬県出身。前橋育英高2年時の2013年、エースとして同校を夏の甲子園初出場初優勝に導く。14年ドラフト1位で西武から指名を受けて入団。プロ1年目の15年に5勝を挙げ、19年には自身初の2ケタ勝利となる10勝をマーク。21年から3年連続2ケタ勝利(11勝、12勝、10勝)を挙げるなど、西武の先発陣を支えてきた。
著者プロフィール
安倍昌彦 (あべ・まさひこ)
1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。
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