甲子園初出場で全国制覇も髙橋光成は苦しんでいた... ドラ1直前のブルペンで受けた「忘れられない40球」 (2ページ目)
あらためて言うが、この壮挙は2年生の夏の出来事である。
「もちろん、1試合1試合覚えていますよ。横浜の強打線はホントに怖かったです。髙濱のスイングスピード、淺間なんか、どこに投げてもバットの芯で打たれそうで......」
【全国制覇のあとに訪れた虚無感】
前橋育英を訪れたのは、髙橋が3年生の秋。運命のドラフト会議まで、もうあとわずかという頃だった。つまり、あの全国制覇から1年2カ月ほどが経っていた。
「なんか、今年のことより、去年のことのほうをよく覚えているみたいで......。変ですよね」
身長1メートル90センチ。見上げるほどの長身に、人のよさそうな笑顔が浮かんでいる。じつは、もっとゴツゴツした、取っつきにくそうなキャラクターなのかと勝手に想像していた。
「こっち(前橋)に帰ってきて、みんなに『スゴい、スゴい!』って言ってもらって、自分でも、ああ、スゴいことをやっちゃったんだなぁって。でも、なかなか実感が湧かなくて。ほんとは夢の中の出来事で、いつか夢が覚めてしまうんじゃないかとか、しばらくの間はなんだかフワフワした気分だったんです」
もう1年以上も前の「夢のような時間」をひとつひとつたどるように、訥々(とつとつ)と話してくれる。時折、少し顔を上げ、遠くの空に目をやりながら......。
「ほんと、田舎育ちのね、いい子なんです。ここから北のほうにずーっと入っていった山の中で育って、たぶん、高校で前橋に出てきたのが最高の都会だったんじゃないですかね。なあ、光成?」
荒井直樹監督が、髙橋の巨体にやさしい視線を注ぐ。
「は......い」
「は」と「い」の間がちょっと伸びる。髙橋は穏やかな笑顔でうなずいていた。高崎から上越線で北へ向かうと、沼田に着く。そこからさらに山あいへ入ったところに実家があり、家族はリンゴ園を営んでいた。
「おばあちゃんがすごく喜んでくれました」
両親がリンゴ園の仕事で忙しかったこともあり、髙橋はおばあちゃん子だったという。
「家が大好きで、家族も大好きで。ああいう静かな山の中も、すごく落ち着くんで大好きなんです」
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