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甲子園初出場で全国制覇も髙橋光成は苦しんでいた... ドラ1直前のブルペンで受けた「忘れられない40球」

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

流しのブルペンキャッチャー回顧録
第14回 髙橋光成(西武)

 その年のドラフト1位クラスの快腕・剛腕にお願いし、ブルペンで全力投球してもらう。そのボールを実際に受け、話を聞いて記事にする──それが「流しのブルペンキャッチャー」という企画だった。そうした趣旨の企画だったから、登場するのは甲子園で活躍した有名投手ばかりではない。むしろ、甲子園には縁のなかった無名の逸材のほうが多かったかもしれない。

前橋育英時代の2年夏の甲子園で全国制覇を達成した髙橋光成 photo by Katsuro Okazawa前橋育英時代の2年夏の甲子園で全国制覇を達成した髙橋光成 photo by Katsuro Okazawaこの記事に関連する写真を見る

【群馬県勢14年ぶり日本一の立役者】

 それでも甲子園での大奮投に心を動かされ、ぜひ取材したいとお願いした数少ない投手のひとりが、前橋育英(群馬)の髙橋光成だった。

 忘れようにも忘れられない、その大奮投の軌跡をまずは追ってみよう。2013年、髙橋がまだ2年生の夏である。前橋育英にとって初出場となった夏の甲子園。関東ではすでに「大器」と評判だったが、全国的にはまだそこまで名の知れた存在ではなかったと思う。

 ところが、初戦の岩国商(山口)戦で、いきなり13奪三振の完封。しかも、9者連続奪三振という"おまけ"までついてきたから驚いた。続く2回戦の樟南(鹿児島)戦でも、2試合連続となる完封勝利。うなったのは、どちらも1対0という緊迫した試合だったことだ。ただの完封より、もうワンランク値打ちが高い。

 そして迎えた3回戦の相手は横浜(神奈川)。淺間大基(日本ハム)、髙濱祐仁(元日本ハムほか)、渡辺佳明(楽天)という2年生クリーンアップを擁し、こちらも2年生左腕の伊藤将司(阪神)がエースを務める優勝候補だった。

 さすがに善戦もここまでか──。そう思われたが、髙橋はここでも1失点完投勝利。打線も強力な援護を見せ、7対1で優勝候補の横浜を退けた。

 さらに準々決勝の常総学院(茨城)戦では、5イニングのロングリリーフで3安打10奪三振無失点。2点を追う9回には自らのバットで同点の2点三塁打を放ち、延長10回裏のサヨナラ勝ちを呼び込んだ。

 日大山形との準決勝も1失点完投で勝ち上がり、決勝の相手は延岡学園(宮崎)。4回に3点を先行されながら、その後は得点を許さず、味方の逆転を呼び込み4対3で勝利。夏の甲子園初出場で初優勝。群馬県勢としては1999年夏の桐生第一以来、14年ぶり2度目となる全国制覇だった。その最大の立役者が、?橋だった。

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著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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