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司法試験合格の東大野球部・スタンリー翔唯が振り返る子どもの頃「野球も勉強も夢中だった」「小6が一番勉強した」 (4ページ目)

  • 門脇 正法●取材・文 text by Masanori Kadowaki

【これはかなわない......早実での挫折経験】

ーー晴れて早実中等部に入学し、勉強では中学1年の最初のテストで学年1位だったとのこと。野球部にも入って、すべてが順調だった感じでしょうか?

 早実の高等部で甲子園に出るのが最大の目標だったので、中等部での野球はまだまだスタート地点という感じでしたが、中学2年の時、ケガをしてしまったんです。

ーーどこをケガしたんですか?

 野球肘でした。正直、ケガをした当初はそんなに大ごとだとは思っていなかったんですけど、大学病院まで行って治療してもなかなかよくならず、しばらくバッティングも含めて練習ができなくて、すごく悔しい思いをしました。

ーー治るまでにどれくらいかかりましたか?

 半年くらいは投げられなかったです。中学2年の秋には自分たちの代になって、そこから中学3年の試合にはまったく出られなかったので、だいぶ楽観的なところがある自分でも「何やってんだろう......」みたいな気持ちはありました。

ーーそうして早実の中等部から高等部へ。高等部で甲子園に出場するという最大の目標に向かっていくわけですね。

 そんな簡単なものでないってことは、もちろんわかっていました。そもそも早実高等部の野球部にはスポーツ推薦の生徒が9人いて、このうちのふたりが自分と同じショートで、しかもめちゃくちゃうまいと聞いていて......。

ーースポーツ推薦の選手とのポジション争いが待っていた、と。

 推薦のふたりでセカンドとショートをやると想定すると、レギュラーは厳しいと思っていて、正直、控えのメンバーに入れればいいかなくらいの感じでした。実際に入部すると、推薦のふたりだけでなく、一般入試でもうまいショートが入ってきて、これはかなわないなと思い、僕は投手に転向しました。

ーー投手に?

 肩はそこそこ自信があったので。ピッチャーならベンチに5、6人は入れるので、そのチャンスにかけてみようと。でも、高校2年の時に、選手としてやっていくのは厳しいなと思うようになってきました。

 僕はとにかく早実の野球が好きだったので、残りの1年間をずっとBチームでやるよりは、何かしらの形でチームに貢献したほうが、早実が甲子園に行くために力になれるかなと思いました。そこで選手としては引退し、学生コーチになる決断をさせてもらいました。

後編につづく

<プロフィール>
スタンリー翔唯 すたんりー・かい/2003年1月20日、東京都練馬区生まれ。小学1年から野球を始める。早稲田実業中等部・高等部を卒業後、早稲田大3年の時に東京大文科三類に合格。2025年11月には司法試験に合格している。現在、東大3年。

著者プロフィール

  • 門脇正法

    門脇正法 (かどわき・まさのり)

    マンガ原作者、スポーツライター。1967年、埼玉県生まれ。日本女子体育大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。アニメ『ドラゴンボールZ』の脚本家である小山高生氏からシナリオを学び、マンガ原作者デビュー。特にスポーツアスリートの実録マンガを得意としており、『世界再戦ー松坂大輔物語ー』(集英社/少年ジャンプ)、『好敵手ー室伏広治物語ー』(同)、『闘球「元」日本代表ー福岡堅樹物語ー』(集英社/ヤングジャンプ)の原作を担当。現在はマンガの原作だけでなく、「少年ジャンプ」のスポーツ記事特集『ジャンスタ』を中心に、『webスポルティーバ』の「文武両道の裏側」など、スポーツライターとしても活躍中。著書に『バクマン。勝利学』『少年ジャンプ勝利学』(ともに集英社インターナショナル)などがある。

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