【高校野球】15歳でコーチ業をスタートさせた異色の指導者 帝京長岡・小野寺翔が語る仙台育英・須江航監督との"密な時間"
「すみません、須江先生みたいなキャッチーな言葉が出てこないんです」
帝京長岡(新潟)の野球部長を務める小野寺翔は、そう言って苦笑を浮かべた。恩師である須江航(宮城・仙台育英監督)から学んだもっとも大事なことを聞こうとしたところ、小野寺は答えに窮したのだった。
小野寺は「難しい質問ですねぇ」とうなったあと、絞り出すようにこう続けた。
「何を教わったというよりも、時間を共にさせてもらったことが今の自分をつくりあげたと思っています」
帝京長岡の小野寺翔部長 photo by Ryuki Matsuhashiこの記事に関連する写真を見る
【須江航の下でコーチ修行】
小野寺は異色の高校野球指導者と言っていい。1998年生まれの27歳だが、高校野球のプレーヤー経験はない。その代わり、野球指導者歴は10年を超える。
中学は、仙台育英学園秀光中等教育学校(当時)の軟式野球部でプレー。中学野球を終えたあとの3年間も、秀光中で学生コーチを務めた。立教大に進学後はさまざまな野球部を回り、見聞を深めた。その間も秀光中との縁は続き、コーチとして伊藤樹(現・楽天)らを指導。大学卒業後、帝京長岡に教員として採用されている。
秀光中での選手、学生コーチ時代に監督を務めていたのが、須江だった。まだ仙台育英の監督になる前で、「青春って密なので」などの"須江語録"も世に出ていなかった。
「私が中学2年の秋に、須江先生がベースボールコンサルタントの和田照茂さんと一緒に『こういう野球をやっていこう』と示してくださって、翌年に全国ベスト8に入れたんです。こうやって強くなるんだ、という流れを見せていただきました」
1学年下の西巻賢二(現・DeNA)など、秀光中での3年間を終えると系列の仙台育英に進学して野球を続ける選手も多かった。だが、小野寺はその道を選ばず、須江の下でコーチ修行を積むことにした。
「私が中学1年になる時に東日本大震災が起きて、須江先生から『野球ができることは当たり前じゃない』と口酸っぱく教えていただきました。そこで誰かのために動くことの大切さを実感するようになって、後輩たちをサポートしたいと思ったんです」
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。





















