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異次元のスピードで甲子園を席巻したオコエ瑠偉 一塁強襲二塁打、1イニング2三塁打、超美守... (3ページ目)

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki

「左打ちを勧められなかったのは、中学まではホームランバッターだったからでしょう。ただ、高校に入ってもホームラン打者のつもりでいたんですが、なかなか芽が出なかったんです。だから、東京で優勝した1年秋の大会はベンチ外。翌年のセンバツをアルプスから見て、どうしたらベンチに入れるか、自分の持ち味を生かす方法を考えた結果が、鋭いライナーを打つことでした」

 米澤監督も「目の色が変わってきたのは選抜前、1年生の2月頃からです」と言うように、そこからのオコエはまず体づくりから取り組んだ。

「しんどいときこそ、もう1本」と走り込み、体幹トレーニングに汗を流し、体を大きくするために丼飯3杯など1日4、5食。増えた体重を質のいい筋肉にするため、トレーナーの助言を仰いだ。

 体が充実すれば、技術は勝手についてくる。2年の選抜後に定位置をつかむと、2年夏には5試合で打率5割超、さらに秋を経て3年時にはプロ注目の逸材として脚光を浴びることになる。

【スピードが生んだ超美技】

 夏の甲子園3回戦の中京大中京(愛知)との試合では、並外れた守備能力の高さも見せている。初回から二死満塁のピンチ。さらにオコエの守るセンターの左に鋭いフライ。抜ければ一挙3点......だが、さながら短距離走者のスピードでオコエが一直線に落下点に疾走し、長い左腕を懸命に伸ばすと、グラブの先にボールがすっぽりと収まった。

 立ち上がりの3失点をゼロにする超美技には、「オコエなら、もしかすると......」と願った米澤監督も、4万7000のスタンドも、割れるような拍手だ。

 過去、特大アーチや150キロ超の剛球でスタンドを魅了した高校生は何人もいる。だが、その足でここまで人気を得た球児は記憶にない。盗塁をしまくったのなら、足の速さはわかりやすい。だが意外なことに、この甲子園でのオコエは盗塁0。つまりファンは、数値ではなく長打や美技そのものにわくわくしたのだ。鮮烈なスピードは、それほど衝撃的だったということだろう。

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