【ドラフト】高校通算49本のスラッガー・櫻井ユウヤが振り返る昌平での日々 プロ野球への思いも語った (2ページ目)
――当時のポジションは?
「入部当初のポジションは三塁手でしたが、小学5年生以降は、卒業した兄が任されていた投手や捕手としてもプレーすることが増えて。中学3年間も3つのポジションで試合に出続けていました」
――捕手と投手だったら、どちらが櫻井選手の性に合っていたと思いますか?
「僕のフルスイングで球場が沸き立つ瞬間が気持ちよくて、本塁打を打つことを楽しみにしながら日々の試合に臨んでいましたけど、バッテリーはより神経を研ぎ澄ますポジション。捕手は投手が打たれた時に怒られてしまうので、投手のほうが楽しかったかなと」
【昌平高校で1年時からAチーム入り】
――中学卒業後は埼玉県の昌平高校に入学し、寮生活をスタートさせました。
「当時は『寮のある学校で野球に打ち込みたい』という思いや、県外で活躍することへの漠然とした憧れを抱いていた時期でした。栃木県の高校を受験しようと思っていた時期もありますけどね。さまざまな選択肢を考えている時に、昌平高校のYouTube動画をたまたま見つけて。すごく雰囲気のよさそうな学校だったので、『行きたいな』と思うようになりました」
――入団当初は投手だったんですか?
「はい。最初は投手として入部しましたが、野手として試合に出場させてもらう機会があり、初戦でいきなり本塁打を打って、1年生のうちにAチームでプレーさせてもらうことができたんです。その後の公式戦でも本塁打を打てたので、この頃から『将来は長距離打者として活躍することを目指そう』と覚悟を決めて、野手としてプレーすることにしたんです」
――昌平高校の練習場にお邪魔させていただきましたが、岩崎優一監督の理論を交えながらわかりやすく指導されている姿が印象的でした。
「岩崎監督は『社会に貢献できる人物になろう』と僕らに声をかけてくださっています。卒業生の皆さんや、地域にお住まいの方々が熱心に昌平高校を応援してくださっている姿を見て、他人のために頑張ることの素晴らしさや、やりがいも実感できました。社会に出て、自分の力で生き抜く大人として過ごすことが楽しみです。これからも岩崎監督の教えを大切にしながら、歩んでいきたいと思っています」
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