佐々木麟太郎よりも本塁打を放った謎の日本人留学生 高校時代の同級生は今秋ドラフトの目玉候補 (3ページ目)
そして、井上は気を取り直すように、こう続けた。
「でも、甲子園にも行かせてもらえたし、いろんなことを勉強できました」
チームとして目指す野球の方向性は理解しつつも、井上は「自分が考えていることは伝えないといけない」と自己主張していた。戦術面のミーティング中、指導者に対して「この場面は、こうしたほうがいいのではないですか?」と意見したこともある。
3年生になると、練習試合を含めて出場機会はごく限られるようになった。高校通算本塁打数を聞くと、井上は「あまり覚えていないんですけど、5〜7本くらいだと思います」と答えた。
【プロになれないと思ったことがない】
当時はどんな思いを抱きながら、ベンチに座っていたのか。そう尋ねると、井上は「こう言うと、大口を叩いていると思われるかもしれないんですけど......」と前置きして、こう続けた。
「小学生の頃から今まで、『プロになれない』と思ったことがないんです。高校2年の途中くらいから、『もう試合には出られないんだろうな』と察していました。でも、『プロになりたい』という思いは、親にもずっと言い続けていて。同世代のドラフト候補の動画を見ても、自分が劣っていると思ったことは1回もないんです。『どこかでチャンスをつかめれば、プロになれる』と思っていました」
井上自身、「スイッチが入った」と振り返るのが、中学3年時のことだった。中学野球を終え、高校野球への準備段階で「プロになりたい」という思いが最高潮に達した。
「その日から高校野球を引退するまで、『全体練習が終わったあとに絶対に自主練習をやる』と決めて、1日も欠かさずに練習しました」
毎日夜遅くまでグラウンドに残る井上に感化され、一緒に自主練習するチームメイトがひとり、またひとりと増えていった。そのなかには、立石の姿もあった。
試合に出ていないのに、なぜ高いモチベーションをキープできたのか。そう聞くと、井上は毅然とした口調でこう答えた。
「試合に出られないからといって、練習をやめる理由にはならないと思っていました。それに、僕は試合に出るのが目標ではなくて、プロになるのが目標だったので。『試合に出たい』という思いより、『プロになりたい』という思いしかありませんでした」
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