「奇跡の12人」から始まったKBCの10年 「午後2時から野球を始められます」を武器に沖縄の強豪校へ (3ページ目)
保護者は子どもの将来を心配したが、神山はKBCの実情と強みを丁寧に説明した。
「ウチには通信の学科もあります。でも野球部は総合学科で、朝からちゃんと勉強します。資格も取れますし、大学進学の出口指導もしっかり行ないます。かつ、野球の時間を県立高校より2時間ほど早くスタートできます」
1年間かけて沖縄県内を回り、2015年の野球部発足時には12人がやって来ることになった。神山は「奇跡の12人」と、今でも感謝している。
「理由として一番多かったのは、『先輩がいないので、夏の大会から試合に出られる。自分たちで何もかもつくっていけるのがいい』ということでした。逆に、それが不安で来なかった子もいます」
選手勧誘と同時に進めたのが、野球部の体制づくりだ。指導者がいなければ、グラウンドもない。誰も知らない新設校に選手を集めるには、実績のある指導者を据える必要がある。そう考えてリストアップしたが、人脈はなかった。
さらに、私立の総合学科スポーツコースで野球部がうまくいった前例はなく、学校経営陣からは「予算をそこまでつけられるかわからない」と制限を設けられた。
そんな折に適任者として浮かんだのが、実の父で、神山も糸満高校時代に監督として野球のノウハウを教えてもらった神山昂だった。那覇商業などで甲子園に通算3度出場した実績もあり、ちょうど宮古高校で再雇用を終えて沖縄本島に戻ってくるタイミングだった。
初代監督に父が就き、神山自身は部長に就任して2015年、KBC学園未来の野球部は発足する。2年間は練習場所を求めて転々とする日々だったが、神山と父が糸満出身だった縁もあり、同市の南浜公園多目的広場にある野球場を定期的に使えることになった。学校が資金を出して整備し、市民とうまく使い分ける条件でまとまった。
創部当初から掲げたのは甲子園出場。壮大な目標を目指して立ち上がったKBC野球部は2期生を迎えた2016年秋、1年生大会優勝という快挙を飾る。その中心が、2018年ドラフト5位でオリックスに入団した内野手の宜保翔だった。
著者プロフィール
中島大輔 (なかじま・だいすけ)
2005年から英国で4年間、当時セルティックの中村俊輔を密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『山本由伸 常識を変える投球術』。『中南米野球はなぜ強いのか』で第28回ミズノスポーツライター賞の優秀賞。内海哲也『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』では構成を担当。
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