【夏の甲子園】京都国際が帝京以来となる35年ぶりの快挙 「ダブルサウスポー」が達成した記録とは? (2ページ目)

  • 戸田道男●文 text by Toda Michio

 金属バット採用以降では、1974年の銚子商(千葉)・土屋正勝、1975年の習志野(千葉)・小川淳司、1978年の天理(奈良)・中西潔、1980年の早稲田実業(当時は東東京)・荒木大輔、1981年の和歌山工・中田淳、京都商・井口和人、そして1987年の芝草である。1989年の帝京以外は、すべてひとりのエースが記録したものだった。

 ところが、今夏の京都国際は西村、中崎と複数の投手によるものだが、継投ではなく、いずれも完投による達成というところが、特筆すべき点である。

 ちなみに、金属バット採用以前も絶対的エースが快刀乱麻の投球を続けたというケースがほとんどで、1939年の第25回大会の海草中(和歌山)・嶋清一、1948年の第30回大会の小倉(福岡)・福嶋一雄が記録した「5試合連続完封」での優勝などはアンタッチャブルの大会記録として語り継がれている。

 複数投手がかかわって、かつすべて完投というのは、1963年の第45回大会の下関商(山口)の例があるだけ。ただこの時の下関商は、この年春のセンバツ優勝投手の2年生エース・池永正明が1回戦の富山商、2回戦の松商学園(長野)を連続完封。しかし、松商学園戦で走塁中に左肩を痛め、3回戦の首里(沖縄)戦は投げられず、急遽、ライトの坂本勝治が先発マウンドに上り、首里打線を相手に完封勝利を飾ったもの。いわば、緊急事態下で達成したものだった。

 複数投手のローテーションを確立したうえで、3試合連続完封という記録はこれまでに例がなく、京都国際のダブルエースの快投はすでに高校野球史の歴史を塗り替えたと言える。

 21日の準決勝・青森山田戦は、ローテーションでいけば背番号1の中崎が登板となる。今春のセンバツ初戦で敗れたリベンジを果たし、さらに4試合連続完封の偉業が達成されるのか注目だ。

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