智辯和歌山に挑んだ和歌山南陵10人の野球部員たち エースは「もうヒジがぶち壊れてもいいから頑張るわ!」と自己最速を更新した (3ページ目)
今年4月に理事長に就任した甲斐三樹彦氏 photo by Kikuchi Takahiroこの記事に関連する写真を見る 6回裏の守備が始まる直前、松下はチームメイトの前でこんな宣言をしている。
「もうヒジがぶち壊れてもいいから頑張るわ!」
6回裏、一死から山田希翔を打席に迎えると、松下は右腕を全力で叩きつける。自己最速の144キロが出たと思ったら、次の球で145キロ、その次の球で146キロと自己最速を1球ごとに更新していく。松下はのちに「最後まであきらめずに出しきろうと思ったら、最速が出ていました」と振り返った。
試合は0対7のまま、7回コールドで和歌山南陵は敗れた。試合後、松下は涙を拭いてこんな思いを語っている。
「スタンドからいつもより大きな応援が聞こえて、力になりました」
一方で、岡田監督は「エラーからつけ込んで点をとっていくところが、やはり強豪だなと感じました」と完敗を認めた。
【10人の野球部員が引退】
岡田監督は野球部監督を務めると同時に、和歌山南陵の寮監として勤務していた。「職業として学校をやめたいと思う時期はなかったのですか?」と尋ねると、岡田監督は「もちろんありました」と語ったうえでこう続けた。
「それでも、この子たちと最後までやりたい思いが勝ちました。今日はこれだけ多くのお客さんが来てくれて、本当にありがたかったですね」
取材が終わると、選手たちは応援に訪れた家族と記念撮影に興じていた。息子を預けた家族にとっても、不安が募る3年間だったに違いない。エース右腕・松下の父親であり、保護者会会長の松下真也はこんな心境を打ち明けた。
「(和歌山南陵の経営難が報じられて)ウチは『どうする?』と聞いたら、本人が『おる』と言ったので転校はしませんでした。レトルトカレーとかスパゲティ、ラーメンとか、救援物資は常に送っていました。経営陣が変わって、学校の環境が少しずつよくなっていったのでありがたかったです。最後の夏に『和歌山で一番になっとけ』と息子に言っていたんですけど、いい投球を見せてくれてよかったですね」
10人の野球部員が引退し、和歌山南陵野球部としては一区切りになる。あとは学校法人として課せられた、生徒募集停止の措置が解除されるかにかかっている。
3 / 4