甲子園初戦で桐光学園・松井裕樹の名は一躍全国区となった 1試合22奪三振の新記録 (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki

【15三振を奪うも準々決勝で涙】

 松井は高校2年の自分について「まだまだ若かった」と、自己分析している。その一因として常にフルスロットルで投げるピッチングスタイルがあった。

 2回戦の常総学院(茨城)戦は19奪三振を奪いながらも試合後半に5失点。一方で3回戦の浦添商(沖縄)戦では、省エネを心がけたことで7回まで6奪三振だったが、8回にホームランを浴びてからギアを上げ、そこからアウトすべてを三振で奪った。

 だが、松井の疲労はピークに達する。

 準々決勝の相手である光星学院(現・八戸学院光星/青森)は、2011年の夏から2季連続で甲子園準優勝を果たしており、中軸の田村龍弘(現・ロッテ)と北條史也(元阪神)がチームを牽引していた。

 松井は7回まで13奪三振、無失点と好投していたが、8回に相手打線に捉えられる。「相当アップ、アップだった」と言うなか、ピンチで最も警戒するふたりにタイムリーを許し3失点。最終的に15個の三振を奪い意地を見せたものの、試合は0対3で敗れた。

「3年生はそんなに泣いている感じじゃなかったんですけど、自分が泣きすぎて......」

 4試合36回を投げ68奪三振。驚愕の奪三振ショーを演じた2年生左腕は、笑顔の先輩に抱きかかえられながら甲子園を去った。

 敗戦の翌日、松井は野呂雅之監督からこんな言葉をかけられたという。

「『ピークが2年生の夏だった』とみんなから言われないように、頑張っていこうな」

 その後も世代最強左腕として注目を浴びたが、甲子園はこの夏のみ。それでも高校3年秋のドラフトでは、5球団競合の末に楽天に入団し、今年からメジャーのマウンドに立っている。


松井裕樹(まつい・ゆうき)/1995年10月30日、神奈川県生まれ。桐光学園2年時の2012年夏の甲子園に出場し、初戦の今治西戦で大会記録となる1試合22奪三振をマーク。13年のドラフト1位で楽天に入団。1年目から27試合に登板し、プロ初勝利を含む4勝を挙げた。15年は抑えに抜擢され、33セーブ、防御率0.87を記録し守護神としての地位を確立した。19年には38セーブで初のタイトルを獲得。さらに22年は32セーブ、23年は自己最多となる39セーブを挙げ、2年連セーブ王に輝いた。23年オフに海外FA権を行使し、パドレスと契約した

著者プロフィール

  • 田口元義

    田口元義 (たぐち・げんき)

    1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。

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