福井工大福井の監督となった大阪桐蔭「藤浪世代」の白水健太は「西谷先生を真似ていたら、一生、大阪桐蔭には勝てない」と格闘の日々 (2ページ目)
【大阪桐蔭とは選手の質も環境も違う】
就任1年目の秋に県大会優勝。北信越大会まで進んだが初戦で敗退し、センバツ出場を逃した。引き続き期待の高かった2022年夏は、準々決勝で北陸に敗退。うっすら見えていた甲子園への道はプツッと途切れ、深い反省だけが残った。
「いま考えたら、僕が完全に焦っていたんです。北信越で負けてセンバツの可能性が消え、力があるチームだったので『夏は絶対に勝つ。甲子園に行かないといけない』と焦る気持ちが子どもたちに伝わってしまった。あのチームは、僕がいた当時の大阪桐蔭以上と思えるくらいの練習をして、子どもたちがそれについてきてくれた。だからこそ勝ちたかったし、勝たせてあげたかった。でも僕の焦りが伝わって、最後のひと伸びをさせてやれなかった。監督としての未熟さを痛感しましたし、神様から『もっと知恵を出せ』と言われた気がしました」
今も大会が終わるたびに、白水のスマートフォンには大阪桐蔭の恩師である西谷浩一から必ずメールが届く。時には電話や、顔を合わせて話すこともある。
敗戦直後の教え子の気持ちを察し、「オレもそうやった」とやさしく寄り添い、最後には「おまえの一番の武器は若さやぞ」と励ましてくれる。西谷は29歳で大阪桐蔭の監督になり、今では甲子園最多勝監督として名を馳せているが、就任当初は「甲子園に嫌われているのか......」と思うほど、あと一歩の状況が続いた。
そんな西谷の甲子園初采配、初勝利は、平田良介(元中日)、辻内崇伸(元巨人)の"怪物コンビ"に、"スーパー1年生"の中田翔(中日)で話題になった2005年夏、36歳の時だった。
「同じ立場になり、西谷先生のすごさをあらためて感じるようになりました」
そう口にした白水は恩師の言葉、教えはしっかりと頭に入っており、気がつけば無意識のうちに、選手たちに西谷の口癖を交えて語っていることもある。
「前半はしっかり組み合って、粘って、後半勝負や!」
一昨年秋、福井大会で優勝した直後の場内へ向けたインタビューが西谷の言い回しにそっくりだと同級生の間で話題になったこともあった。
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