「イチローのすごさがわかる忘れられない練習がある」大分高・岩﨑久則監督は8年間のプロ経験を生かして打倒・明豊 夏の甲子園を目指す (3ページ目)
その後は妻と一緒に大分へ戻り、ハローワークへと通い詰め、「どんな仕事があるか全部見た」という。そして2001年からホテルマンに転身。ホテルのメンテナンスやマネジャー業も経験した。
「マネジャーで現場のシフトを変えたり動かしたりしていました。そういう仕事をしていた時に、大分のスポーツ店の社長から、『大分西南リトルシニアという中学のクラブチームの会長をしているので、そこを教えてほしい』と言われたので、指導にいっていました」
だが、仕事が三交代制勤務だったため、練習へは週1、2回程度しかいくことができなかった。スポーツ店社長の誘いもあり、5年間務めたホテルマンから、スポーツ店での営業マンへと転身。本格的に指導者の道へと舵を切ったことが、結果的に母校との縁を結ぶことになる。
「当時の大分高校監督の佐野徹先生に、いい選手がいたら紹介してほしいと言われて、教え子を何人か紹介していました。そんな関係を続けていくうちに、佐野先生から、中学でクラブチームを立ち上げるから、今までのノウハウを生かして監督をしてくれないかという話をもらいました」
【打倒・明豊への秘策】
そうして2011年から大分中学リトルシニアの監督に就任。教員免許は持っていなかったため、事務員として採用された。在任中には佐野監督のアドバイスもあり、学生野球資格を回復。もしこの時、研修を受けていなければ、高校生を指導することはできなかっただろう。色々な人との出会いが、今の岩﨑さんの礎となっている。
「佐野先生には感謝しています。また、大分高校にも、理事長、校長、教職員のみなさまへの恩返しも含めて、グラウンドで結果を出さないといけないと思っています」
新日鉄大分時代に二刀流を経験したことも、指導をするうえで多いに役立っている。
「投手、野手、お互いの気持ちがわかるんですよ。だから極端な話、投手は練習試合などでも打たれていいから四球は出さないところからスタート。打者は投手の球に対して、意識せずに体が反応してバットを出すには、どういう練習をしたらいいのか、それを自分たちで考えて答えを見つけなさいと言っています」
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