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甲子園初の完全試合を生んだ「松本の3センチ」...前橋・松本稔「その瞬間、スピードもコントロールもカーブもすべてよくなった」 (5ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika

【試合後の「申し訳ない」発言の真意】

『松本の3センチ』は、本人も驚くほどの威力を発揮した。「もともと指が短いんです」と笑う松本だが、その指は驚くほど柔らかく、今もグニャッと大きく後ろへ曲がる。これはスナップをより効かすことにつながり、ストレートは130キロ半ばだったがボールのキレは抜群だった。

 右ひざが地面に着くほど、重心の低い投球フォームも印象深い。

「重心を下げるのはあまりよくない、高い位置からそのまま平行移動していったほうがスピードが出ると最近はよく言われます。でもこの時は、重心を下げることで股関節の可動域を広げ、下半身をうまく使えた気がしているんです。スピンがかけやすくホップするようなボールも投げられて、ユニフォームのひざをよく破いたけれど、自分にもっとも合った投げ方だったと今でも思っています」

 球数78球、うちボールの判定は11球で、初球ボールとなったのは3度だけ。内野ゴロ17、内野への飛球2、外野への飛球3、三振5。試合前に抱いた「面白くなりそう」との予感は、的中どころか日本中を驚かす快挙へとつながっていった。

 試合を終え、インタビュー通路で大勢の記者やカメラに囲まれた松本。ここでのひと言は、快投とはまた別に世間の関心を高めるものだった。

「(完全試合を達成し)申し訳ない気持ちがあります」

 これまでの度重なる報道で真意のほどは伝えられているが、当時この言葉は「比叡山の選手たちのことを思うと申し訳ない」という意味で多くは受け取られていた。

「たしかにそれもありました。地元に帰ってつらい思いをするかもしれないと、それが容易に想像できましたから。でも本当に言いたかったのは、自分たちは野球をとことん追求し練習してきたわけじゃない。甲子園は非現実的な世界だとずっと思ってきたので、そんな自分が完全試合なんてやっていいのだろうかと。猛練習してきた人がたくさんいるのに何だか申し訳ない......。それがあの時の正直な気持ちでした」

(文中敬称略)

中編<甲子園「完全試合男」松本稔が高校時代から感じていたスパルタ指導の限界「もっと面白く、効率よく」を指導者として実践>を読む

後編<「野球人口が減ってもレベルは絶対落ちない」甲子園完全試合の松本稔(現・桐生監督)が選手に「適性の限界」を伝える理由>を読む

【プロフィール】
松本稔 まつもと・みのる 
1960年、群馬県伊勢崎市生まれ。1978年、前橋高3年の時に春の第50回選抜高等学校野球大会で比叡山(滋賀)を相手に春夏通じて初めて甲子園で完全試合を達成。卒業後は、筑波大でプレーし、筑波大大学院へ進学。1985年より高校教員となり、野球部を指導。1987年には群馬中央を率いて夏の甲子園に、2002年には母校・前橋をセンバツ大会出場に導いた。2004年、第21回AAA世界野球選手権大会の高校日本代表コーチを務め準優勝。2022年に桐生に赴任し、同年夏より監督。

著者プロフィール

  • 藤井利香

    藤井利香 (ふじい・りか)

    フリーライター。東京都出身。ラグビー専門誌の編集部を経て、独立。高校野球、プロ野球、バレーボールなどスポーツ関連の取材をする一方で、芸能人から一般人までさまざまな分野で生きる人々を多数取材。著書に指導者にスポットを当てた『監督と甲子園』シリーズ、『幻のバイブル』『小山台野球班の記録』(いずれも日刊スポーツ出版社)など。帝京高野球部名誉監督の前田三夫氏の著書『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新書)では、編集・構成を担当している。

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