センバツ優勝投手・下窪陽介は大学で野手転向、社会人を経てプロ入り 今は売り上げ5500万円の営業マンとなった (3ページ目)
【営業売上げは5500万円】
あのセンバツで学んだことは、44歳となった今でもしっかりと生きている。下窪は高校3年夏に右肩を痛めた影響もあり、日本大では3年から打者に専念。
その後、日本通運から2006年ドラフトで横浜(現DeNA)に入団も、4年で戦力外となり、現役を引退した。サラリーマン生活を経て、2015年から故郷の鹿児島に戻り、祖父・勲さんが創業、父・和幸さんが1972年に設立した「下窪勲製茶」の営業担当として働いている。
デパートと交渉し、催事場や物産展で知覧茶などの自社製品を販売。全国を年間の半分以上となる30週間をかけて飛び回る多忙な生活を送っている。仕事でも「相手に敬意を払う」ことを忘れない。
「まずはデパートに入らないことには仕事になりません。しつこいと思われても、しっかりと頭を下げて仕事を取る。一生懸命やっていれば、誠意は必ず伝わります」
勉強することも忘れない。知覧茶本来の甘味と旨味を試飲してもらうため、品種によって茶葉の量やお湯の温度を変えるお茶の入れ方を研究。試飲後に「おいしい」と言って数袋を買っていくお客も少なくない。そんな努力もあり、今では営業売上げ5500万円を稼ぐまでに成長した。
桜の季節になると、あの春を思い出す。仕事が落ち着けば「野球の指導にも携わってみたい」という夢もある。センバツ優勝投手、そして野手でプロ入りした球歴は、誰もが経験できることではない。ただ、その原点は甲子園にある。
「高校球児ならだれもが甲子園にいきたい、そこでプレーしたい。目標じゃないですか。春だろうが夏だろうが、みんなそこに向けて努力をする。本当に特別な場所。出ることができたチームは、悔いなく思い切ってやってほしいですね」
今年で96回を数えるセンバツはどんなドラマが生まれるのか。下窪もその瞬間を心待ちにしている。
おわり
下窪陽介(しもくぼ・ようすけ)/1979年1月21日、鹿児島県生まれ。鹿児島実業では3年春のセンバツで優勝、夏の甲子園でもベスト8進出。その後、日本大、社会人野球の日本通運を経て、2006年大学生・社会人ドラフト5位で横浜(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。入団1年目に72試合の出場で打率.277の成績を残し、その後は右の代打として活躍。2010年に退団後はサラリーマン生活を経て、現在は家業の下窪勲製茶へ入社
著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう
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