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モイセエフ、ラマルだけじゃない...甲子園に出場した姓も名も「カタカナ」の選手は何人? (2ページ目)

  • 戸田道男●文 text by Toda Michio

 3人目は75年夏、堀越のカイザー・フレデリック。1年夏からベンチ入りした184センチの大型右腕で、夏の甲子園では0対9と大敗した初戦の天理戦に救援登板。1イニングを無失点に抑えた。

 70年代のこのふたりのあと、姓も名もカタカナの選手はしばらく現れず、4人目は20年以上の間をおいて、1998年夏の第80回大会に出場した平塚学園のバービー・シーモア。強打の遊撃手として鳴らし、2試合で3安打を記録。卒業後は社会人・住友金属鹿島(現・日本製鉄鹿島)に進み、現在は少年野球の指導者を務める。

 2001年夏に1年生で出場した東洋大姫路の左腕、両親がベトナム出身のグエン・トラン・フォク・アンは、03年センバツにもエース兼主将で再び登場。準々決勝は引き分け再試合を勝ち抜くなどベスト4まで進出。準決勝で広陵の前に敗れたものの強烈な印象を残した。卒業後は社会人野球の東芝でプレーし、2010年に退部した。

 この頃から、東北・ダルビッシュ有、日章学園・瀬間仲ノルベルト、羽黒・片山マウリシオなど漢字カタカナ交じりの選手がコンスタントに登場するようになり、21世紀に入って以降は、カタカナ名前が珍しくない時代になったと言える。

 以後、甲子園に登場した姓も名もカタカナの名前は記憶に新しい以下のリストの選手たちがいる。第1号のジョン・ダン以後、優勝した選手はなく、岡山東商・ライト、東洋大姫路・アンと昨年センバツの大阪桐蔭・ラマルのベスト4が最高成績。異なるチームから姓も名もカタカナの名前の選手が同じ大会に出るのも初めてとあって「直接対決」の期待も高まったが、今大会での実現はなくなり、次大会以降に持ち越されることになった。

■歴代春夏甲子園 姓名がカタカナの選手

ジョン・ダン(慶応普通部)/1916夏、1917夏
ケネス・ハワード・ライト(岡山東商)/1970夏、1971夏
カイザー・フレデリック(堀越)/1975夏
バービー・シーモア(平塚学園)/1998夏
グエン・トラン・フォク・アン(東洋大姫路)/2001夏、2003春
カルデーラ・チアゴ(羽黒)/2003夏
ウラム・エフェレディン(香川西)/2006夏
ヴィアナ・ウェリソン(佐野日大)/2007春
シング・アンドリュー(明徳義塾)/2010夏
パルマ・ハーヴィー(白山)/2018夏
ヴァデルナ・フェルガス(日本航空)/2021夏
エドポロ・ケイン(日本航空)/2021夏
ラマル・ギービン・ラタナヤケ/(大阪桐蔭)2023春、2024春
モイセエフ・ニキータ(豊川)/2024春

著者プロフィール

  • 戸田道男

    戸田道男 (とだ・みちお)

    1961年岩手県一関市生まれ。明治大学卒業後、東京スポーツ新聞社で4年間野球担当記者を務めたのち、ベースボール・マガジン社入社。週刊ベースボール、ベースボール・クリニックほか野球関係の雑誌、ムックの編集に携わる。2011年に同社を退職し、同年から2021年まで廣済堂出版発行の「ホームラン」編集を担当。現在はフリーランスの立場で野球関連の編集者&ライターとして活動中。

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