部員19人、別海高校の最大の武器は「揺るぎなきチームワーク」 センバツ初戦の難敵相手にも「臆することなく戦わせてもらいます」 (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki

【初戦は難敵・創志学園】

 そんなチームを形成させた功労者は、やはり監督の島影に尽きる。

 2016年に別海の監督となってから、楽より苦のほうが多かった。

 監督就任時に、「10年で甲子園に出る」と宣言した際は、別海町の誰もがそんなことが起きるなんて思わなかった。練習試合で立て続けに10点以上もの大差をつけられて敗れ、選手たちと泣きながら語り合った逸話だって、当時は冷ややかな視線を送っていた者だっていたかもしれない。

 だからこそ島影は、語気を強める。

「別海町をひっくり返す」

 周りから笑われようと、バカにされようと自分が発した挑戦に責任を持ち、踏みにじられてもグラウンドに根を生やし続けた。

 コンビニの副店長と野球部の監督。二足の草鞋を履き、1日6時間にも満たない睡眠時間ながらも足を棒にして中学校を回り、きれいごとを並べることなく厳しいところは厳しくすると、指導者の信念をぶつける。

 小学生を対象とした野球教室を定期的に開催し、少年たちに「甲子園」という夢を抱かせる。そして、別海野球部に入部した選手には経験の有無関係なく、根気強く基礎を叩き込む。

 そう、しんしんと。まるで北海道に大雪が積もるように、島影はグラウンドに熱を落とし続けるのである。

 武修館時代から苦楽をともにしてきた、トレーナーの渡辺靖徳がしみじみと言葉を紡ぐ。

「あきらめないこと。これは島影監督の才能だと、僕は思っているんです。どんなことがあってもあきらめない。だからこそ、僕や小沢さん、大友(孝仁)トレーナー、佐々木(護)トレーナーと、外部から人が集まってきて、高校が変わっても彼への協力を惜しまないんです。今年、甲子園に出られるのは島影監督の大きなエネルギーがあったからなんですよ」

 覚悟を決めてから8年。島影は10年を待たずして別海を甲子園へと導いた。

 懐疑的だった町は、今や最大の支援者だ。ふるさと納税を財源とした総額5000万円もの補助を町議会で可決させた。島影の熱が人を動かし、町を変えたのである。

 3月13日。甲子園球場での公開練習で、島影は19人の部員とともに初めて聖地の土を踏みしめた。

「やっと、ここまできたな」

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