大阪桐蔭の元4番・小池裕也は藤浪晋太郎と森友哉の野球教室を実現「ツンデレのふたりをくっつけたい」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tamigami Shiro

 チームはその秋、神宮大会への出場を決めた。試合中、小池は応援席に足が向かず、偵察隊が陣取るネット裏から観戦した。高校最後の夏とはまた違う類(たぐい)のモヤモヤした気持ちを抱えながら大学野球を終えた。ただ、そのおかげで......というべきか、未練のないままプレーヤーとして区切りをつけた。

 大学卒業後は自動車ディーラーとして働き、その一方で5年ほど少年野球の指導にも携わった。子どもと向き合いながら野球を語っている時、あるいは仕事で立ち止まった時、大阪桐蔭で過ごした約2年半の記憶がよみがえり、そこへ西谷の口癖や野球ノートに繰り返し書き込んだ言葉が重なったという。

 小池の内面が本当の意味で変わっていくのは、社会のなかで責任を負い、役割を担い、働くようになってから。入社して間もなく、上司に言われた言葉が「西谷先生に通じるものがあった」と小池は言う。

「おまえに賢さは求めてない。お客さんに聞かれた時はウソをつくな、ごまかすな」

 さらに「約束を守る、連絡はすぐに返す、コミュニケーションをしっかりとる、失敗した時は誠意をもって謝る」といった社会人としてのイロハを教わり、またしても西谷の教えが重なったと、小池は語る。

「高校の時、西谷先生から『人間性が大事や』『信頼される人間になれ』と言われても、その頃はまだ何をしたらいいのかわからなかったんです。でも、難しいことじゃなく、できることをしっかりやるのが大事なんだとわかってきた。だから今は、何をするにしても『最後は人間や』という西谷先生の言葉がわかりますし、野球では成功できなかったですけど、大阪桐蔭の野球部での2年半が、社会に出てめちゃくちゃ生きていると思っています」

 かつての未熟さも笑顔で語る素直さ。仲間たちが小池を見放さなかった理由がわかる気がした。

【生粋の仲間思い】

 2022年6月、NPBの交流戦で当時阪神に在籍していた藤浪晋太郎(現・メッツ)と西武(現・オリックス)でプレーしていた森友哉の対戦があった。不本意なシーズンが続いていた藤浪と、スタートから乗り切れずにいた森との真剣勝負。テレビ画面に映るふたりの姿に、小池の胸は熱くなった。

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