奇跡の甲子園から5年、リアル「下剋上球児」たちの今 白山高校はなぜ県大会を勝ち抜けたのか卒業後に出した答え

  • 菊地高弘●文・写真 text & photo by Kikuchi Takahiro

2018年夏の甲子園で先発マウンドを任された白山高校の岩田剛知(photo by Sankei Visual)2018年夏の甲子園で先発マウンドを任された白山高校の岩田剛知(photo by Sankei Visual)この記事に関連する写真を見る

【やらされた感しかない】

 白山高校は三重県津市白山町に校舎がある。最寄り駅の家城(いえき)駅からはJR名松線が出ているのだが、列車は2時間に1本しかこない。地域住民からは「名松線の車内で白山の生徒が我が物顔で座り込んでいる」と煙たがられることもしょっちゅうだった。

 地元の中学校では「勉強しやんと白山に行くハメになるぞ」と言われるほど、定員割れが当たり前の公立高校。進学する生徒の多くが第一志望校の受験に失敗しており、栗山は津商業、岩田は菰野や海星を不合格になって白山へと進学している。

 野球部は2007年から10年連続で夏の三重大会初戦敗退という弱小校だった。栗山たちの学年は1年夏に初戦敗退、2年夏に3回戦に進出。そして3年夏に甲子園出場という信じられないジャンプアップを遂げた。

 白山高校はなぜ、甲子園に出られたのか。指導者から選手、地域住民に至るまで、誰に尋ねても芯を食った回答は返ってこない。それほど白山の快進撃は神がかっていた。

 栗山はポツリとこう漏らした。

「やっぱり東先生はすごいっす。あんなに怒ってばっかでも、一人ひとりのことをよくわかっとったんやろな」

 東拓司監督は甲子園出場時に40歳。ホームベースが土中に埋まるほど荒廃していた野球部を一から立て直し、5年で甲子園出場へと導いた。現在は公立校ながら大半の生徒が寮生活を送る昴学園で指揮を執っている。

 岩田は高校時代の練習について、「やらされた感しかない」と語っている。

「とにかく言われたことをやっていた感じで......。甲子園なんて行けると思ったこともないし、なんで甲子園に行けたかなんて深く考えてもわかんないですから。でも、たとえやらされた練習でも、やり続けるのが大事なんかな、とは思います」

 栗山も岩田も高校卒業後にそれぞれ大学、社会人軟式で野球を続けたが、長続きはしなかった。それは2人に限らず、大学4年秋の最後まで選手としてプレーしたのは、高校時代にエース番号をつけた山本朔矢(さくや/現・三京アムコ)くらいだ。

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