「どうせオレは使われねえんだろ」選手たちの目が死んでいた青学大野球部を再建 安藤寧則監督は5年でどうやって日本一へ導いたのか (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sportiva

── それでも2部だった青学大を日本一に導くまでに4年です......時間的な感覚としては4年というのはいかがでしょう。

安藤 よく聞かれるんですよ、日本一まではあっという間でしたか、それとも長かったですかって。正直な感想は、どっちでもなくて......言い当たっているとすれば、ウサギですか、カメですか、と訊かれれば、カメです、という感じですね(笑)。一歩一歩、一個一個。思えば2部リーグで戦った監督1年目は、春も秋もあと1勝ができずに優勝を逃しました。

【1部と2部との差】

── その1勝の壁を、監督はどんなふうに受け止めたんですか。

安藤 入れ替え戦を見に行ったんです。その時、どこに1部と2部の違いを感じたかと言えば、それはバッターの小力(こぢから)でした。ピッチャーはそんなに変わらないと思ったんです。でもバッターは違った。僕らが2部でミノサン(見逃し三振)、カラサン(空振り三振)するような球を1部のバッターはカットして、簡単に終わらせない。「うわぁ、これが1部と2部の差か」と思い知らされました。

── 2部で勝てたとしても、このままでは1部では通用しないと......。

安藤 だから僕は選手たちに、今のお前たちのエンジンじゃ、2部であと1勝の壁は超えられても、入れ替え戦には勝てないし、勝てたとしても1部に踏みとどまることはできないぞ、と話しました。もう一回り、エンジンをデカくしようぜ、小力を身につけるために身体をつくり直すんだと、そう伝えました。

── 監督のその言葉を選手のほうもすんなり受け止めてくれたんでしょうか。

安藤 そこはなかなか浸透しづらい部分もありました。そもそも監督に就任した当初、斜に構えている選手も多かったんです。「どうせオレは使われねえんだろ」みたいな覇気のなさというか、もう目が死んでいました。だから僕は選手たちに「今まで試合に出ていたとか、期待されていたとか、そういうことはオレには一切関係ない、横一線でスタートする」と話しました。「オレは勝ちたい、だから名前を呼ばせてくれ、誰でもいいんだ」と......。

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