「どうせオレは使われねえんだろ」選手たちの目が死んでいた青学大野球部を再建 安藤寧則監督は5年でどうやって日本一へ導いたのか
夏の甲子園も終わり、大学野球の秋季リーグ戦が本格的にスタートする。「戦国」東都大学リーグの注目は、今年春のリーグ戦で17年ぶりの優勝を果たし、全日本大学選手権でも18年ぶりの日本一を果たした青山学院大だ。2019年に安藤寧則(やすのり)監督が就任すると、当時2部だったチームをわずか4年で日本一のチームへと導いた。安藤監督はいかにして勝つ集団へと変えたのか。指揮官を直撃した。
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【高等部の監督として20年間指導】
── 安藤監督は青山学院大学に在学中、野球部の学生コーチを務めて、大学3年の時に青山学院高等部の監督に就任しました。以来、甲子園からは縁遠い青山学院高等部の野球部を20年間、指導し続けてきたわけですが、2019年からは大学野球部の監督を務めることになりました。そして当時は東都リーグの2部だった青学大をこの春、大学日本一にまで導いたわけですが、その道のりを振り返っていただくと、どんなことが思い浮かびますか。
安藤 そうですね......ここまで、いろんなことがありましたからね。大学の監督を受ける覚悟を決めたときの応援してくれた家族の顔や、恩師で前監督の河原井(正雄)さんのご苦労のことも思い浮かびます。就任当初は荒れていた寮生活、一緒に苦労してチームをつくり上げてきた今の4年生たち......そういうことがバーッと頭のなかを駆け巡りますね。
── 大学の監督を引き受ける時には、覚悟が必要だったんですか。
安藤 大学の監督としては何の実績もない僕に、突然、学校からのお願いが届いて......もちろんOBの方々にもいろんなご意見があったと思います。なぜ安藤なんだ、という声も聞こえてきました。それでも引き受けた以上、目の前にいる選手たちと一緒にやっていくんだと腹をくくる必要はありました。ウチの選手たちはみんな僕の後輩でもあるわけで、だったらこんな自分でも精一杯やれることはあるはずだという覚悟を決めて、一年、一年、みんなと積み重ねてきました。
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。