東京大学野球部・渡辺向輝「自分で答えを見つけるのが好き」。偉大な父・俊介にピッチングを学ばなかった少年時代 (3ページ目)
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通学時間は教科書をひたすら読んだ
ーー野球漬けの毎日のなか、勉強はどういう感じでしていたんですか? 向輝さんならではの両立の方法はありましたか?
電車での通学時間が片道で1時間ちょっとかかっていたので、その時間だけは行きも帰りも絶対勉強するようにしていました。
ーー具体的にどんな勉強でしたか?
やっぱり部活をやっていない人と比べて時間がどうしても取れなかったので、問題や演習を解くよりは、とにかく教科書を無限に読む、何度も読むということをやっていました。電車の中でずっと、数学だとしても問題は解かないで、教科書をひたすら読みました。
ーー中学時代の成績はどうでしたか?
中学の時はひどかったです。よくなかった。いや、悪かったです(笑)。学年300人中、200番くらいで、個人的にはけっこう勉強してるつもりではあったんですけど、どうしても野球をやりすぎちゃって、試験に間に合わないという感じでした。それでも模試になると中学の時はなぜか点数が取れていました。校内の定期試験では取れなかったんですけど。模試の成績は100番くらいでしたかね。
ーー得意科目と不得意科目は何でしたか?
中学時代は、現代文が案外点を取れたのと、あと数学ですかね。その2つが得意です。英語はあまりできなかったですね。
父にはアドバイスをもらわないようにしていた
ーー海城は中高一貫校ですが、高校での野球の目標は何でしたか?
高校に入った時の目標は、とにかく速い球が投げたかったので「140キロ投げてやるぞ!」みたいな感じでしたね。当時はアンダースローではなく、上から投げていました。
ーーその目標はクリアできましたか?
いや結局、最速で137、8キロでしたね。
ーー高校3年生の時、東京都大会前に肩を壊してしまったそうですね。
コロナの影響で休校になって、その休み明けで練習を再開したあとでした。ピッチャーがとにかく少なくて連投が続いたこともあって、それでケガしてしまったのかなと。故障後にアンダースローにフォームを変えました。
ーー野球については、お父さんからアドバイスをもらいますか?
実は上投げの頃はあんまりアドバイスもらわないようにしていたんです。
ーーどうしてですか?
なんて言うんですかね、昔から自分で答えを見つけるのが好きで、ひとりでいろんなものを探しに行ったりしていたタイプなんです。だから投げることに関しても、答えを与えられるんじゃなくて、全部自分でやりたい意識が強かったんです。
でも肩をケガして、アンダースローに変えた夏の大会の時だけはアドバイスをもらいました。投げ方とか抑え方、そういうところをいろいろと教えてもらいました。最後の東京都大会は、初戦で敗れてしまいましたが。
インタビュー後編「父・渡辺俊介と同じサブマリンの東大野球部・向輝。参考にするのは牧田和久と中川颯で『父の投げ方はやりづらい』」>>
写真提供/東京大学野球部
<プロフィール>
渡辺向輝 わたなべ・こうき
2004年、千葉県生まれ。小学3年から野球を始め、海城中学・高校では投手を務めた。2022年、東京大学理科二類に入学し野球部に所属している。父は、千葉ロッテマリーンズなどで活躍した"ミスターサブマリン"の渡辺俊介さん。
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