6年前、監督不信の状態だった帝京第五を甲子園へ。元ロッテの小林昭則監督は生活面からチームを立て直した (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 大友良行●撮影 photo by Ohtomo Yoshiyuki

コロナに苦しんだ初の夏

 小林が監督に就任した時に3年生だった大本将吾(元福岡ソフトバンクホークス、現愛媛マンダリンパイレーツ)は決勝戦を観戦したあと、「欲を出さずに一生懸命にプレーする姿は勉強になった。小林先生のサインを完璧にこなす選手たちはすごかった」と後輩たちを称えた。

 夏の愛媛大会初優勝に、小さな町が沸いた。

 しかし、決勝戦翌日から新型コロナウイルスが猛威をふるう。ほとんどの選手が陽性となり、隔離生活を余儀なくされた。試合日程調整の結果、18人の登録メンバーはひとりも交代することなく甲子園の土を踏むことができたものの、本来のコンディションからは遠かった。

 先発したエースの積田拓海は「気持ちだけは負けないように」と奮闘したが、味方のエラーもあって初回から5失点。中盤まで必死で食らいついたものの、「ピッチング練習を始めたのは3日前くらい。選手全員が揃ったのは昨日(8月12日)」という状態では、九州学院(熊本)相手に4対14の敗戦も責められない。

 敗れた小林監督は試合後にこう語った。

「一時は出場辞退も考えましたが、日本高野連のご配慮により、甲子園で試合することができて感謝しています。選手たちはみんな、フーフー言いながら試合をしていましたし、足が攣った選手が何人もいました。それでも、最後までよく頑張ってくれました。

 甲子園に来たからにはハツラツとしたプレーをして初勝利を目指そうと生徒には話をしましたが、練習ができないとこういう試合になってしまう。日頃の練習の大切さをあらためて実感しました」

「コロナのせいにはしたくない」と小林監督は言うが、「普段と比べれば20パーセントか30パーセント」のコンディションでは初勝利をつかめるはずはなかった。

「やっぱり甲子園は甘くない。試合に出た2年生もたくさんいるので、甲子園の経験を新チームで生かしたい」

 全国の舞台から遠ざかっていたチームを5年間で2度甲子園まで連れてきた小林監督の手腕が試されるのはこれからだ。

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