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6年前、監督不信の状態だった帝京第五を甲子園へ。元ロッテの小林昭則監督は生活面からチームを立て直した (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 大友良行●撮影 photo by Ohtomo Yoshiyuki

生活面の変化は勝敗に関係する

 過去、甲子園出場は一度しかないが、県内はもちろん、関西からも腕自慢の選手たちが集まってくる。自分の実力に自信を持つ彼らが、新しい監督をすんなり受け入れるはずがない。

「私は、それだけパワーがあると感じました。鍛えがいのある選手たちだと。実際に一対一で話をすると、反抗的に見えた選手たちも、目をギラギラさせて食いついてきた。聞く耳を持ってくれたので助かりました」

 その秋の愛媛県大会で準優勝。四国大会で高松商業(香川)、英明高校(香川)など強豪を撃破して決勝に進出。翌春のセンバツ大会の出場権を手に入れた。

「四国大会決勝まで勝ち上がることができたのは、技術を磨いたからではありません。私が監督になった時にほかの先生から言われたのは、『野球部員の生活態度をなんとかしてほしい』ということ。授業をきちんと聞く、提出物を期限までに出す、服装を整える。学生として当たり前のことを当たり前にやれるように厳しく指導しました」

 生活面の変化が野球の勝敗にも関係している、と小林は胸を張った。

 48年ぶりに出場した春のセンバツは強豪の作新学院(栃木)に1対9で敗れたが、2017年夏の愛媛大会は、甲子園を経験した選手たちが中心となってチームは躍進するかと思われた。しかし、決勝で済美に3対10で屈し、春夏連続の甲子園出場を阻まれて以降は苦しい戦いが続くことになる。

 2018年夏は県大会2回戦で敗れ、秋の県大会を制したものの、四国大会初戦で敗退。2019年夏、2021年夏も3回戦で姿を消している。「甲子園に出るために」単身で愛媛にやってきた小林監督にとって雌伏の時だった。

 この夏、帝京第五は愛媛大会決勝で前年王者の新田に競り勝ち、甲子園に戻ってきた。夏の甲子園に出場するのは初めてのことだ。決勝戦後に涙を流した小林監督は「長くはなかった。あっという間だった」と語った。

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