桑田真澄、清原和博のPLに7対29。元東海大山形のエースが明かす「歴史的惨敗の真相」「KKの記憶」「脅迫状...」 (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Nikkan sports,Taguchi Genki

 藤原は、清原より「ピッチャー・桑田」との対戦のほうが覚えていると言った。

「カーブがすごかった。ドロップのような軌道で、よう見えんかったですね。1打席目は空振りの三振でした」

 試合での藤原の記憶は、事実上、ここで途切れている。1回に2失点してからも、2回に5点、3回に4点、4回に3点。なんとか3アウトをとり、ベンチに戻ればアイスボックスにヒジを入れて冷やす。藤原にとって甲子園でのプレーは機械的な作業になっていた。人間味がある感情を挙げるとすればただひとつ、羞恥心だけだった。

「緊張はなかった。とにかくヒジがズキン、ズキンと痛くて、何も考えられへんかったけど、『どうしよう......恥や、恥ずかしいわ』っていうのはありました」

 そんな藤原に理性を保たせてくれていたのが、監督の滝の檄だった。

「ヒジが痛いのはわかるけど、東海大山形を強くしてくれたのはおまえだ。せめて、5回までは投げてマウンドを降りろ」

 5回にさらに6点を献上し、藤原はマウンドを降りた。132球を投げて被安打21、四死球4、失点20。これが甲子園における藤原の投手としての成績である。

「山形ではバンバン抑えとったのに。こんな状態やなかったからね」

 今もあからさまに言い訳をしないのは、監督の思いを知っているからだ。

「藤原を負け犬にはさせたくなかった」

断片的に蘇るKKの記憶

 6回からライトの守備に就いた藤原だが、痛み止めの影響で胃けいれんを起こし、ヒジの痛みと同時に吐き気とも戦わなければならなかった。降板後に思い出せるのはその程度だと言うが、断片的に蘇る記憶もある。"KK"とのエピソードだ。

 9回、PL学園3番手の小林克也から甲子園初ヒットを放った藤原は、一塁ベース上で清原から「ナイスバッティング」と声をかけられ、「ありがとう」と返したという。

 試合後には桑田から慰労の言葉をかけられた。ベンチ裏の通路で藤原のもとへ駆け寄り、「ヒジ、大丈夫? 気ぃつけてな」と。簡単なやりとりだけだったが、「めっちゃええヤツやな」と、藤原はPL学園の懐の深さを知った。

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