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桑田真澄、清原和博のPLに7対29。元東海大山形のエースが明かす「歴史的惨敗の真相」「KKの記憶」「脅迫状...」 (2ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Nikkan sports,Taguchi Genki

 日大山形との決勝戦。ついにヒジが悲鳴を上げた。「ブチン!」。試合終盤、スライダーを投げると準々決勝の時とは明らかに違う鈍い音がした。そこからヒジがしびれ、まともにボールを操れなくなった。試合は打線の援護もあって9回サヨナラで甲子園出場を決めたが、勝利の代償はあまりにも大きかった。

「きみ、絶対に投げられないよ」

 重度の炎症を起こし、医師からドクターストップを宣告されていた藤原にとって、PL学園は「最高」ではなく、「最悪」の相手だった。試合までは治療に専念した。腫れ上がった患部に注射を打ち、水を抜く。指圧に湯治、「ヒジが焼けるくらい痛かった」という電気治療も施したが、どれも気休め程度にしかならなかった。

「もうアカン、ダメっすよ。甲子園で投げられないっすわ」

 部長の森清人にだけはありのままの気持ちを伝えたが、監督の滝と対峙する時の藤原は常に戦闘モードだった。

 試合前日、藤原は滝にこう告げられた。

「"背番号1"をつけているのは誰だ」

 藤原は頷き、「投げられます」とだけ答えた。ただ実際は「投げられない」ことを隠すだけで精一杯だった。右ヒジの注射針のあとが見えないよう七分袖のアンダーシャツを着用し、投球練習は10球ほど「それっぽく投げた」だけで試合に臨んだ。

5回を投げて被安打21、失点20

 1番の内匠政博をセカンドゴロに抑えたが、2番の安本政弘にストレートを弾丸ライナーでレフトラッキーゾーンへ叩き込まれ、いきなり先制点を奪われた。

「強烈な打球でした。あんなスイングの速い選手、東北では見たことなかった」

 3番の松山秀明をサードファウルフライに抑えてツーアウト。ここでスラッガーの清原と初めて対戦した藤原だったが、フォアボールという結果以外に特別な感情はなかった。

「事前に『インコースを攻めよう』とミーティングでは話していたけど、ヒジが痛くて......清原がすごいバッターなのは知ってるけど、こっちはそれどころじゃなかった。あの日、試合に出たなかで5人もプロに行ってるんでしょよ。みんな怖かった」

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